「戦後100年まで慰霊祭を続けたい」と話す仲田さん=17日、糸満市摩文仁の沖縄師範健児之塔
宮城篤実町長(右から4人目)に目録を手渡す古堅宗光会長(同3人目)=17日、嘉手納町役場
沖縄戦から64年。戦没者を学校単位で祭る慰霊塔では遺族や同窓生の高齢化が進み、取りやめになる慰霊祭がある一方、若い世代の尽力で復活する慰霊祭もある。2006年を最後に開催されていなかった沖縄師範健児之塔の合同慰霊祭は09年、若い世代の遺族やボランティアが中心となり復活する。「戦後100年まで続けていきたい」と先輩たちから受け取った思いを受け継いでいく。県立農林学校同窓会(古堅宗光会長)は23日付で解散、同日最後の慰霊祭を開く。中止に対し会員は「活動を継いでくれる人がいれば」と悔しさをにじませるが、慰霊塔は今後、嘉手納町が管理し、同窓会の志を継ぐ。
師範隊/34歳決意、今年復活「戦後100年まで」
沖縄師範学校男子部の戦没者を祭る沖縄師範健児之塔での慰霊祭は遺族の高齢化で06年を最後に中止され、以降は自由参拝になっていた。
慰霊祭の復活は仲田英安さん(34)が中心になって企画した。沖縄師範学校に通っていた伯父の安吉さんが沖縄戦で犠牲になったことから、仲田さんは、子どものころから慰霊祭に参加しており「伯父の墓はないので塔はお墓代わり。慰霊祭が唯一の接点だった」という。中止を知り、後を受け継ぐ人がいないことを残念に感じていた。唯一だった伯父との接点を求め、復活に向けて動き始めた。
個人的な思い入れから動き始めた仲田さんだったが「遺族会は苦渋の決断で慰霊祭を中止したのに、個人的な思いで再開していいのか」と悩んだ。そこで昨年の慰霊の日に参拝に訪れた同窓生や遺族にアンケートを実施したところ、復活を望む声がほとんどだった。
同校同窓生の玉城政文さん(80)=宜野湾市=も「若い人たちが自分たちの鎮魂の思いを受け継いでくれることはうれしいことだ。できる限り協力したい」と後押しした。
参列者の香典などでテント代などの経費を賄うが、慰霊祭を継続し塔を維持管理していくには資金などの課題も残る。「意識は世代間で引き継ぐことができるはず。自分たちもいずれ次の世代に引き継ぎたい」と話す。「慰霊祭が途切れず続けられるのは平和な時代が続いていること。戦後100年まで続けたい」。仲田さんは“鎮魂の思い”というバトンを先輩たちから受け取った。(荒井良平)
農林隊/同窓会は解散 嘉手納町管理
【嘉手納】会員の高齢化を理由に6月23日の慰霊の日に解散する県立農林学校同窓会(古堅宗光会長)は17日、嘉手納町役場を訪れ、同窓会が嘉手納中学校敷地内などに所有している農林健児之塔などの土地・物件すべてを寄付した。
古堅会長は「われわれが管理してきた建物などをきちんと管理してほしい」と述べ、宮城篤実町長に目録を手渡した。
同校は1902年、甲種国頭郡各間切島組合立農学校として発足した。11年に県立農学校、23年に県立農林学校に改称され、45年に沖縄戦で校舎が全焼し、43年間の歴史に幕を閉じた。同窓生は3300人。
古堅会長は「同窓会は後継者がいないので解散するが、町が管理すると聞き安心した。力の続く限り町が実施する慰霊祭に参加する」と話した。同窓生の1人で名桜大学の瀬名波栄喜学長は「農林学校で過ごした1年は10年分に匹敵するほど密度の濃いものだった」と振り返った。
宮城町長は「責任をもって町が引き継ぐ。同窓会の熱い志も町民に伝えていきたい」と話した。
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