壕の中は多くの犠牲者
南風原にいるころ、足の踏み場もないほど患者で埋まっていた陸軍病院も、南部に撤退してからは、患者の姿が見られなくなった。金城茂子さんも伊原に移った第3外科壕での患者の記憶は薄い。撤退の時は、夜間とは言え、主要な地点に確実に砲弾が落ちて来た。病院職員らも撤退の際に傷つき、死んでいったから、負傷した者が南部の移動先までたどりつくことは、ただ強運としかいいようがなかった。
例え、患者が全員たどりついたにしても、収容する壕はそこにはなかった。伊原の第3外科壕も「民間人が入っていたのを提供してもらったと思う」と金城さんは言う。
伊原の壕付近もやがて米軍の砲撃が激しくなってきた。「毎日交代で山城の本部壕まで命令を受けに行く。犠牲があっても確実に命令が伝わるように兵隊2人、看護婦2人で行った。また夜は当番で近くの井戸に水くみに行き、それを小さな杯で班長がみんなに分けた」
金城さんは腰に絶えず巻いとくよう言われたタオルに「もう何の意味があるのか」と、そのころ思った。それはガス弾にやられた時、水をしみこませ口に当てれば助かると教えられていた。が、「水筒の水さえないのに…」と彼女は思った。それでも、ノドのかわきは鍾乳石からたれ落ちる水滴を脱脂綿で吸って飲むことができたからいやせた。
6月19日のことだった。「外の方を見ていると、上の方から何かが投げ込まれてきた。“オーライ”というふうな声が聞こえたかと思うと、ビールびんのようなものが投げ込まれてきた。そのあとくさいにおいがしたが、班長が『タオルでおおって、奥へ行け、奥へ行け』と叫んでいるのをおぼえいている」と金城さんは言う。
壕の奥の方には、しばらく前に見つけた身長程の縦穴があり、そこに無我夢中で進んだ。外にはドンドン“ビールびんのような弾”が投げ込まれた。
「これがガス弾か」と思った。そのうちに金城さんに眠気が襲って来る。「班長、眠たくなってきた」ともうろうとした中で言うと、新垣松雄班長は「コラ、眠ったら死ぬぞ。起きているんだ」と怒鳴る声が返って来た。そして夢うつつの金城さんの顔に、2度ビンタが飛んできたことをおぼえている。
壕の中にはたくさんの犠牲者が出ているようだった。混乱する壕内だったが、金城さんの耳には「チクショウ、これもダメだ」と何度も岩に打ちつける音と、新垣班長の吐き捨てるような言葉が聞こえてくる。それが自決のために手りゅう弾をぬいていることは、すぐに分かった。「班長やめて下さい」と大きな声で叫んだつもりだったが、意識の途切れる中で言葉にはならなかった。
それからどのくらいの時間がたっただろうか。「何日かたっていたかもしれない」と金城さんは言う。新垣班長が自決のためにぬいた手りゅう弾は幸いに1発も爆発してなかった。
壕を捨て移動することになって、ゆり起こされたらしい。壕の外に出ると夜だった。はっきりしない意識の中で、外を見ると白い花がいっぱい咲いている。死のふちから戻った金城さんは、「こんなところにも白い花があったのか」と思った。
はしごをつかんで登ろうとする時、その白い花が何であるか、すぐに分かった。はしごにも咲いていた白い花は、金城さんの手のひらにべったりとした感触を与え動き出した。近くに倒れた人たちはもう何日も放置され、また周囲には肉片が飛び散っていた。南風原にいたころから、患者の傷口にまとわりつき、悩まされているのが、白い花の正体だった。
(「戦禍を掘る」取材班)
1984年4月4日掲載
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