沖縄の不発弾 RSSicon

2012年3月5日

 無邪気に遊んだ幼稚園のグラウンド近くに不発弾が埋まっていた。しかし、あの大事故に遭遇するまで、そのことはまったく知らなかった
▼1974年3月2日、那覇市小禄の聖マタイ幼稚園横の下水道工事現場で不発弾が爆発した。パイル打ちの作業中だった作業員3人と3歳児が犠牲になり30人余が負傷。旧日本軍が埋めた地雷が爆発し、ひな祭りの最中だった園児らを襲った
▼土砂は地上50メートルまで舞い上がり、爆風でブランコはあめのように曲がった。歓声が上がっていた幼稚園は変わり果てた。「いつでも誰でも犠牲になってしまうのか」。事故の3年前に同園を卒園していた筆者は、爆発直後の凄惨(せいさん)な現場をニュースで見て言葉を失った
▼あれから38年。いまだに学びやから不発弾が発見される。4日、那覇市の首里高校グラウンドに埋まっていた米国製艦砲弾が爆破処理された。半径199メートル内の住民らが6時間に及ぶ避難を強いられた
▼不発弾処理に県民生活が左右されている。昨年は浦添市の小学校で、児童がグラウンドの一角で見つけた手りゅう弾を素手で職員室に届けた。児童生徒の健やかな成長の場が危険と隣り合わせという異常な状況は早く終わりにしたい
▼不発弾だけでなく、戦争犠牲者の遺骨も日常的に見つかる沖縄の現実。戦後処理は加速しても、これ以上置き去りは許されまい。


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