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銘苅墓跡群、国史跡に 文化審議会が文科相に答申2007年5月19日 
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史跡に新指定される「銘苅墓跡群」=那覇市

 文化審議会(石沢良昭会長)は18日、那覇市銘苅の「銘苅墓跡群」を史跡にするなど、全国で新たに計14件を史跡、名勝、天然記念物に指定するよう伊吹文明文部科学相に答申した。県内の国指定史跡は3月に指定された先島諸島火番盛(ひばんむい)に次いで31件目。尚家の墓である玉陵(たまうどぅん)以外の墓が指定を受けたのは初めて。
 銘苅墓跡群は新都心地区内にあり、グスク時代から明治まで続く大規模な古墓群。沖縄独特の葬法の二次葬(洗骨葬)がグスク時代までさかのぼることが初めて確認されている。墓跡から出土した蔵骨器には被葬者の氏名、死亡もしくは洗骨年月日が記されているものが多く、被葬者は主に首里地域の士族だったことも確認されている。
 古墓群228基のうち、保存状態のとりわけ良好な保存地区の29基と伊是名殿内の墓が銘苅墓跡群として指定を受けた。伊是名殿内は1800年代初頭に成立した伊平屋、伊是名の総地頭家。その墓は18世紀に確立した亀甲墓の様式すべてが凝縮され、県内で最大級だ。
 那覇市教育委員会文化財課の島弘副参事は「グスク時代から近代の墓まで密集しているため、多種多様な墓がある。県内の葬法すべてをここで見ることができる」と説明。「厨子甕(ずしがめ)に書かれた銘書(みがち)で具体的な被葬者が分かると同時に士族の家譜との合致、戦争で失われた部分も補完できる」と指定の重要性を強調した。
 同墓跡群のうち伊是名殿内は一般公開されているが、保存地区は未公開。
 市教委は1990年から99年にかけて新都心一帯で発掘調査を実施。多くは記録保存し埋め戻して区画整理されたが、今回指定を受けた銘苅墓跡群と新都心公園内の25基が現存している。


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