「平和の礎」でクリントン米大統領が、「命どぅ宝」の文言を「琉球の最後の王、尚泰が詠んだ詩」として演説に引用したことに対し、「尚泰王作は俗説」と指摘する一文を作家の大城立裕氏が寄稿した。
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クリントン大統領が、サミットついでに「平和の礎」で演説をして、そのなかで「命ど宝」という言葉を出したまではよいが、この歌の出所をめぐって「一八七九年、琉球王朝最後の王の尚泰王が首里城を出る時、最後に将来への希望を託した詩を詠みました。今日彼の言葉は時代を超えて、われわれに語り掛けます」とまで念をおしたのは、方言でいう「ハイウマヌ キッチャキ」=勇み足の躓(つまずき)=というもので、愛らしく笑わせる。
誰が原稿を書いたか知らないが、流布する俗説を出典にしてもらっては困る。いやしくも、今をときめくアメリカ大統領の発言である。 「いくさ世もすまちみろく世もやがて嘆くなよ臣下命ど宝」というのだが、『琉歌大成』(清水彰編著、一九九四、沖縄タイムス社)によれば、琉歌集が明治以降五冊以上出ているなかで、この歌を収めているのは、『琉歌註釈』(喜納緑村、一九三二年九月七日、琉球研究社)のみである。
ここで私が気づいたのは、山里永吉の琉球処分シリーズの戯曲群である。『山里永吉集』(一九三三、新星堂書房)で調べてみた。
「那覇四町昔気質」(初演は喜納著に半年先立つ一九三二年三月)で、劇の幕切れに尚泰王が東京へ発つ船の上で詠むことになっている。それが最近の上演では、やはり山里の「首里城明渡し」に入っているようだが、これは演出で焼きなおしたものだろう。
歴史文学というものは「罪」なもので、フィクションが実話にされてしまう惧(おそ)れがある。喜納著はこの罠(わな)にかかって学術的に失敗したが、戦後の反戦運動のなかでは、たぶん善意で誤り伝えられたようだ。 作者は山里永吉でもなく、尚泰に扮(ふん)した名優・伊良波尹吉である可能性が高い。山里の戯曲は日本語で書かれているし、尹吉は芝居のために琉歌を何千と創っているらしいからである。
さらに、歌をよくよく吟味してみれば、奇妙なことに気がつく。
「いくさ世もすまち」というが、ではどの戦かという疑問がまず生じる。琉球処分を戦争に比するとは大袈裟(げさ)だ。そのせいかどうか、戦後しばらく尚寧王作という説がはやった。それなら、薩摩侵入のことかと、なかば納得がいかないものでもない。しかし、ここではまた、二つの疑問が出る。ひとつは、絶望のどん底にいた尚寧王が「みろく世もやがて」という希望を持ち得たか、ということ。もうひとつは、この時点で八・八・八・六という琉歌の形式が完成していたか、ということである。
私は九割以上、伊良波作と信じているが、「命ど宝」という句も、とってつけたようで、上作とはいえない。
ことわっておくが、私は「命ど宝」というフレーズを使うことを批判しているのではない。言葉のもつニュアンスが出典をはなれて変容することはよくあることだし、反戦フレーズとしては便利な言葉だと思う。
ただ、ここにフレーズが諸刃の剣になったことを、このさい認識するのは、無駄ではないと思う。 クリントンは「ふたたびあの悲惨な戦争をおこさないために、基地が必要です」と呼びかけている。その文脈に「命ど宝」が使われたことは、なんとも皮肉なことで、私たちとしては多少なりとも「一本とられた」と反省するところがなければ、嘘である。
理屈ぬきのお題目には、そういう落とし穴がある。難しいことをいえば、言葉の空洞化である。
このことはしかし、クリントン自身にも言えることであって、はからずも出典で転んだために、馬脚をあらわしたが、私たちに他山の石としての反省の機会をも与えてくれたようである。(作家)
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