代執行訴訟 翁長知事陳述書全文


 陳述書(翁長雄志沖縄県知事)

1 知事に立候補した経緯と公約

2 沖縄について
 (1)沖縄の歴史
 (2)沖縄の将来像

3 米軍基地について
 (1)基地の成り立ちと基地問題の原点
 (2)普天間飛行場返還問題の原点
 (3)「沖縄は基地で食べている」基地経済への誤解
 (4)「沖縄は莫大(ばくだい)な予算をもらっている」沖縄振興予算への誤解
 (5)基地問題に対する政府の対応
 (6)県民世論

4 日米安全保障条約

5 前知事の突然の埋立承認

6 前知事の埋立承認に対する疑問-取消しの経緯
 (1)仲井眞前知事の埋立承認についての疑問
 (2)第三者委員会の設置と国との集中協議
 (3)承認取消へ
 (4)政府の対応

7 主張

 (1)政府に対して
 (2)国民、県民、世界の人々に対して
 (3)アメリカに対して

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1 知事に立候補した経緯と公約

 今年、日本は戦後70年の節目の年を迎えました。わが沖縄県も27年間の米軍統治時代を経て本土復帰を果たし、先人のたゆまぬ努力により、飛躍的な発展を遂げてまいりました。

 しかしながら沖縄県には、県民自らが持ってきたわけでもない米軍基地を挟んで「経済か」、「平和か」と常に厳しい二者択一を迫られ、苦渋の選択を強いられてきた悲しい歴史があります。

 保守の方々は「生活が大切だ。今は経済だ」と主張したのに対し、革新の方々は「命を金で売るのか、ウチナーンチュの誇りはどうするのか」と批判し、県民同士がいがみあっていたのです。政治家の一家に生まれ育った私は、小さい頃からそのような状況を肌で感じており、将来は県民の心をひとつにして、この沖縄の政治状況というものを打破できないだろうかと考えるようになりました。ですから私の持論は、沖縄では保守が革新の敵ではなく、革新が保守の敵でもない。敵は別のところにいるのではないかということです。

 平成24年、日米両政府から、普天間基地へのオスプレイ配備が発表されました。配備を強行しようとする政府に対し、平成25年1月、オスプレイの配備撤回と普天間飛行場の閉鎖・撤去、県内移設断念を求め、県内41市町村長と市町村議会議長、県民大会実行委員会代表者が上京し、政府に建白書を突きつけました。政治的な主義・主張の違いを乗り越え、オール沖縄で行った東京行動のような取組み、活動こそが、今、強く求められていると思っております。

 建白書を携えた東京行動から私が県知事へ立候補するまでの約2年の間に、普天間基地の県外移設を訴えて当選した県選出の与党国会議員が中央からの圧力により次々に翻意し、辺野古移設容認に転じました。さらに平成25年の年末には、安倍総理大臣との会談後、仲井眞知事が辺野古埋立申請を承認するに至るなど、県内移設に反対する足並みは大きく乱れました。しかしながら世論調査の結果を見ますと、普天間飛行場の辺野古移設に対する県民の反対意見は、約8割と大変高い水準にあり、オール沖縄という機運、勢いは衰えるどころか、さらに高まっていました。

 これは、県民が沖縄の自己決定権や歴史を踏まえながら、県民のあるべき姿に少しずつ気づいてきたということだと思います。

 そのような中、海底ボーリング調査など移設作業を強行する政府の手法は、これまで安倍総理大臣や菅官房長官が繰り返し述べてきた「誠心誠意、県民の理解を得る」、「沖縄の負担軽減」といった言葉が、空虚なものであることを自ら証明したようなものでした。

 日本の安全保障は日本全体で負担すべきであり、これ以上の押し付けは沖縄にとって既に限界であることを政府に強く認識してもらいたいと考えています。

 私たちは、今一度心を一つにして、「オール沖縄」あるいは「イデオロギーよりはアイデンティティー」で結集して頑張っていかなければならない。

 沖縄が重大な岐路に立つ今、私の力が必要という声があるならば、その声に応えていくことこそ政治家の集大成であるとの結論を出し、那覇市長から沖縄県知事に立候補したものであります。

 沖縄県知事選挙にあたり、公約について以下を基本的な認識として訴えました。

 ○建白書で大同団結し、普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念、オスプレイ配備撤回を強く求める。そして、あらゆる手法を駆使して、辺野古に新基地はつくらせない
 ○日本の安全保障は日本国民全体で考えるべきものである
 ○米軍基地は、今や沖縄経済発展の最大の阻害要因である。基地建設とリンクしたかのような経済振興策は、将来に大きな禍根を残す
 ○沖縄21世紀ビジョンの平和で自然豊かな美ら島などの真の理念を実行する

 ○アジアのダイナミズムに乗って動き出した沖縄の経済をさらに発展させる
 ○大いなる可能性を秘めた沖縄の「ソフトパワー」こそ、成長のエンジンである
 ○新しい沖縄を拓き、沖縄らしい優しい社会を構築する
 ○平和的な自治体外交で、アジアや世界の人々との交流を深める

2 沖縄について

 (1)沖縄の歴史

 沖縄には約500年に及ぶ琉球王国の時代がありました。その歴史の中で、万国津梁の精神、つまり、アジアの架け橋に、あるいは日本と中国、それから東南アジアの貿易の中心になるのだという精神をもって、何百年もやってまいりました。

 ベトナムの博物館には600年前に琉球人が訪れた記録が展示されていました。中国の福州市には、異国の地で亡くなった琉球の人々を埋葬している琉球人墓があり、今も地域の方が管理しております。また、琉球館という宿も残っております。それから、北京では国子監といいまして、中国の科挙の制度を乗り切ってきた最優秀な人材が集まるところに琉球学館というのがあり、そこで琉球のエリートがオブザーバーで勉強させてもらっておりました。このような形で、琉球王朝はアジアと交流を深めてまいりました。沖縄名産の泡盛は、タイのお米を使ってできています。タイとの間にも何百年にわたる交易と交流があるわけです。

 そういった中で1800年代、アメリカ合衆国のペリー提督が初めて日本の浦賀に来港したのが1853年です。実は、ペリー提督はその前後、5回沖縄に立ち寄り、85日間にわたり滞在しております。1854年には独立国として琉球とアメリカ合衆国との間で琉米修好条約を結んでおります。このほか、オランダとフランスとの間でも条約を結んでおります。

 琉球はその25年後の1879年、日本国に併合されました。私たちはそのことを琉球処分と呼んでおります。併合後、沖縄の人々は沖縄の言葉であるウチナーグチの使用を禁止されました。日本語をしっかり使える一人前の日本人になりなさいということで、沖縄の人たちは皇民化教育もしっかり受けて、日本国に尽くしてまいりました。その先に待ち受けていたのが70年前の沖縄戦でした。「鉄の暴風」とも呼ばれる凄惨(せいさん)な地上戦が行われ、10万を超える沖縄県民を含め、20万を超える方々の命が失われるとともに、貴重な文化遺産等も破壊され、沖縄は焦土と化しました。

 このように沖縄は戦前、戦中と日本国にある意味で尽くしてまいりました。その結果どうなったか。サンフランシスコ講和条約で日本が独立するのと引き換えに、沖縄は米軍の施政権下に一方的に差し出され、約27年にわたる苦難の道を歩まされることになったわけであります。

 その間、沖縄県民は日本国憲法の適用もなく、また、日本国民でもアメリカ国民でもありませんでした。インドネシア沖で沖縄の漁船が拿捕(だほ)されたときには沖縄・琉球を表す三角の旗を掲げたのですが、その旗は何の役にも立ちませんでした。

 また当時は治外法権のような状況であり、犯罪を犯した米兵がそのまま帰国するというようなことも起こっていました。日本では当たり前の人権や自治権を獲得するため、当時の人々は、米軍との間で自治権獲得闘争と呼ばれる血を流すような努力をしてきたのです。

 ベトナム戦争のときには、沖縄から毎日B52が爆撃のために飛び立ちました。その間、日本は自分の力で日本の平和を維持したかのごとく、高度経済成長を謳歌(おうか)していたのです。

 (2)沖縄の将来像

 私の知事としての県政運営方針は「沖縄21世紀ビジョン基本計画」を着実に1つ1つ進めていくことが基本となると思っております。

 この計画の特徴は、「強くしなやかな自立型経済の構築」と「沖縄らしい優しい社会の構築」を施策展開の基本として明示するとともに、基地問題の解決にも力を入れているところです。

 「強くしなやかな自立型経済の構築」を実現していく上で大きな力となるのが、うやふぁーふじ(先祖)から受け継いできた、沖縄の自然、歴史、伝統、文化、あるいは万国津梁の精神といった、いわゆるソフトパワーの活用です。アジアのダイナミズムというのは、今やヨーロッパ、アメリカをしのぐ勢いであり、既に沖縄はそのうねりに巻き込まれつつあります。かつて沖縄はまさしく日本の辺境、アジアの外れという場所でしたが、今はアジアの中心、そして日本国とアジアを結ぶ大変重要な役割を果たすようなところにきています。

 沖縄には、チャンプルー文化、いちゃりばちょーでー(一度出逢ったら皆兄弟)として知られる文化や生き方があります。これは小さな沖縄が周辺の国々に翻弄(ほんろう)されながらも一生懸命生き抜き、積み重ねてきた歴史から来るものであり、誇るべきものであります。

 自立型経済の構築に向けて、今一番勢いがあるのが、観光リゾート産業です。昨年、過去最高の観光入域客数を記録しましたが、外国人観光客、特に、中国や韓国、台湾を始めとするアジア各国からの観光客の大幅な増加が大きく貢献しています。外国人観光客の伸びは、今年に入っても衰えることなく、100万人を超えています。

 また、航空・物流企業の努力により、アジアを結ぶ国際物流拠点としての地位もみえてきました。また、海底ケーブルをつなぎながら日本と台北、あるいはシンガポールそれからまた沖縄につなげるといったように、情報通信産業の拠点になる要素が出てまいりました。

 日本の排他的経済水域の面積は世界第6位ですが、東西約1000km、南北約400kmの中に、有人島40を含め160の島々が広がる沖縄県は、大いにそれに貢献しています。また、伊平屋島沖に熱水鉱床が発見されるなど、海底資源という意味でも沖縄は大きな可能性をもっており、そういったことに私たちはもっと目を向け、アジアと日本の架け橋としてどのような役割を果たしていくか考え、実行していく中で、沖縄のあるべき将来像というものが作れるのではないかと思っております。

 「沖縄らしい優しい社会の構築」につきましては、41市町村で、協働のまちづくり、人と人が支え合って助け合っていく仕組みづくりに取り組んでいます。私が那覇市長のとき、那覇市でも協働のまちづくりに取り組みました。ボランティア、NPO、あるいは民生委員・児童委員、自治会や企業の皆さんの中には、地域のため、他人のために頑張っている人がたくさんおられます。500名を超える方々を協働大使に委嘱するとともに、活動拠点の一つとして、前の銘苅庁舎内に「協働プラザ」を設置しました。他の市町村も、那覇市に負けないくらい素晴らしいまちづくりに取り組んでいます。こういったものが、県民同士が支え合って助け合って生きていく沖縄らしい優しい社会の構築、沖縄全体の発展につながるものだと思っております。

 基地問題の解決を図ることは、県政の最重要課題です。基地の整理縮小を図ることは当然ですが、将来的には、平和の緩衝地帯として沖縄があってもらいたいと思っています。日本の防衛のためといって基地をたくさん置くのではなく、平和の緩衝地帯としての役割をこれから沖縄が果たしていき、アジアと日本の架け橋になることを夢見ながら今、私は県政に取り組んでいます。

3 米軍基地について

 (1)基地の成り立ちと基地問題の原点

 沖縄の米軍基地は、戦中・戦後に、住民が収容所に入れられているときに米軍が強制接収を行い形成されました。強制的に有無を言わさず奪われたのです。そして、新しい基地が必要になると、住民を「銃剣とブルドーザー」で追い出し、家も壊して造っていったのです。沖縄は今日まで自ら進んで基地のための土地を提供したことは一度もありません。

 まず、基地問題の原点として思い浮かぶのが1956年のプライス勧告です。プライスという下院議員を議長とする調査団がアメリカから来まして、銃剣とブルドーザーで接収された沖縄県民の土地について、実質的な強制買い上げをすることを勧告したのです。当時沖縄県は大変貧しかったので、喉から手が出るほどお金が欲しかったと思います。それにもかかわらず、県民は心を1つにしてそれをはねのけました。そして当時の政治家も、保守革新みんな1つになって自分たちの故郷の土地は売らないとして、勧告を撤回させたわけです。今よりも政治・経済情勢が厳しい中で、あのようなことが起きたということが、沖縄の基地問題を考える上での原点です。私たちの先輩方は、基地はこれ以上造らせないという、沖縄県の自己決定権といいますか、主張をできるような素地を作られたわけであります。

 また、サンフランシスコ講和条約発効当時は、本土と沖縄の米軍基地の割合は、おおむね9対1であり、本土の方が圧倒的に多かったのです。ところが、本土で米軍基地への反対運動が激しくなると、米軍を沖縄に移し、基地をどんどん強化していったのです。日本国憲法の適用もなく、基本的人権も十分に保障されなかった沖縄の人々には、そのような横暴ともいえる手段に対抗するすべはありませんでした。その結果、国土面積のわずか0・6%しかない沖縄県に、73・8%もの米軍専用施設を集中させるという、理不尽きわまりない状況を生んだのです。

 (2)普天間飛行場返還問題の原点

 政府は、普天間飛行場返還の原点を、平成8年に行われた橋本・モンデール会談に求め、沖縄県が県内移設を受け入れた原点を、平成11年に当時の県知事と名護市長が受け入れたことに求めています。

 しかしながら、普天間基地の原点は戦後、住民が収容所に入れられているときに米軍に強制接収をされたことにあります。

 政府は、県民が土地を一方的に奪われ、大変な苦痛を背負わされ続けてきた事実を黙殺し、普天間基地の老朽化と危険性を声高に主張し、沖縄県民に新たな基地負担を強いようとしているのです。私は日本の安全保障や日米同盟、そして日米安保体制を考えたときに、「辺野古が唯一の解決策である」と、同じ台詞を繰り返すだけの政府の対応を見ていると、日本の国の政治の堕落ではないかと思わずにはいられません。

 また、政府は過去に沖縄県が辺野古を受け入れた点を強調していますが、そこには、政府にとって不都合な真実を隠蔽(いんぺい)し、世論を意のままに操ろうとする、傲慢(ごうまん)で悪意すら感じる姿勢が明確に現れています。

 平成11年、当時の稲嶺知事は、辺野古を候補地とするにあたり、軍民共用空港とすること、15年の使用期限を設けることを前提条件としていました。つまり、15年後には、北部地域に民間専用空港が誕生することを譲れない条件として、県内移設を容認するという、苦渋の決断を行ったのです。さらに、当時の岸本市長は、知事の条件に加え、基地使用協定の締結が出来なければ、受入れを撤回するという、厳しい姿勢で臨んでいました。

 沖縄側の覚悟を重く見た当時の政府は、その条件を盛り込んだ閣議決定を行いました。ところが、その閣議決定は、沖縄側と十分な協議がなされないまま、平成18年に一方的に廃止されたのです。

 当時の知事、名護市長が受入れに際し提示した条件が廃止された以上、受入れが白紙撤回されることは、小学生でも理解できる話です。

 私は、政府が有利に物事を運ぶため、平然と不都合な真実を覆い隠して恥じることのない姿勢を見るにつけ、日本国の将来に暗澹(あんたん)たるものを感じずにはいられません。

 (3)「沖縄は基地で食べている」 基地経済への誤解

 よく、「沖縄は基地で食べているのではないか」とおっしゃる方がいます。その背後には、「だから少しぐらい我慢しろ」という考えが潜んでいます。

 しかしながら、経済の面で言いますと、米軍基地の存在は、今や沖縄経済発展の最大の阻害要因になっています。米軍基地関連収入は、復帰前には、県民総所得の30%を超えていた時期もありましたが、復帰直後には15・5%まで落ちており、最近では約5%です。駐留軍用地の返還前後の経済状況を比較しますと、那覇新都心地区、小禄金城地区、北谷町の桑江・北前地区では、返還前、軍用地の地代収入等の直接経済効果が、合計で89億円でありましたが、返還後の経済効果は2459億円で、約28倍となっております。また雇用については、返還前の軍雇用者数327人に対し、返還後の雇用者数は2万3564人で、約72倍となっております。税収は7億9千万円から298億円と約35倍に増えました。基地関連収入は、沖縄からするともう問題ではありません。経済の面から見たら、むしろ邪魔なのです。実に迷惑な話になってきているのです。

 日本の安全保障という観点から一定程度我慢し協力しているのであって、基地が私たちを助けてきた、沖縄は基地経済で成り立っている、というような話は、今や過去のものとなり、完全な誤解であることを皆さんに知っていただきたいと思います。基地返還跡地には、多くの企業、店舗が立地し、世界中から問い合わせが来ています。

 仲井眞前知事のときに、普天間飛行場等の返還予定駐留軍用地が返されたときの経済効果を試算しました。現在の基地関連収入が501億円あります。返還後の経済効果を試算したところ、8900億円との結果が出ました。約18倍です。普天間飛行場やキャンプキンザーが返されたら、民間の施設がここに立ち上がって、ホテルなどいろいろなものが出来上がって、沖縄経済がますます伸びていくのです。基地があるから邪魔しているのです。ですから、基地で沖縄が食っているというのは、もう40年、30年前の話であって、今や基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因だということをしっかりとご理解いただきたいと思います。

 (4)「沖縄は莫大な予算をもらっている」 沖縄振興予算への誤解

 沖縄は他県に比べて莫大な予算を政府からもらっている、だから基地は我慢しろという話もよく言われます。年末にマスコミ報道で沖縄の振興予算3千億円とか言われるため、多くの国民は47都道府県が一様に国から予算をもらったところに沖縄だけ3千億円上乗せをしてもらっていると勘違いをしてしまっているのです。

 都道府県や市町村が補助事業などを国に要求する場合、沖縄以外では、自治体が各省庁ごとに予算要求を行い、また、与党国会議員等を通して、所要額の確保に尽力するというのが、通常の流れです。しかし、復帰までの27年間、沖縄県は各省庁との予算折衝を行えず、国庫補助事業を確保するための経験は一切ありませんでした。一方で沖縄の道路や港湾などのインフラは大きく立ち後れ、児童・福祉政策なども日本とは大きく異なるものであり、迅速な対応が要求されていました。

 復帰に際して、これらの課題を解決するために、沖縄開発庁が創設され、その後内閣府に引き継がれ、県や市町村と各省庁の間に立って予算の調整、確保に当たるという、沖縄振興予算の一括計上方式が導入されました。また、脆弱(ぜいじゃく)な財政基盤を補うため、高率補助制度も導入され、沖縄振興に大きな成果を上げつつ、現在に至っています。

 しかしながら沖縄県が受け取っている国庫補助金等の配分額は、全国に比べ突出しているわけではありません。

 例えば、県民一人あたりの額で見ますと、地方交付税や国庫支出金等を合わせた額は全国6位で、地方交付税だけでみると17位です。沖縄は内閣府が各省庁の予算を一括して計上するのに対し、他の都道府県では、省庁ごとの計上となるため、比較することが難しいのです。ですから「沖縄は3千億円も余分にもらっておきながら」というのは完全な誤りです。

 一方で、次のような事実についても、知っておいていただきたいと思います。沖縄が米軍施政権下にあった27年間、そして復帰後も、全国では、国鉄により津々浦々まで鉄道網の整備が行われました。沖縄県には、国鉄の恩恵は一切ありませんでしたが、旧国鉄の債務は沖縄県民も負担しているのです。また、全ての自治体で標準的な行政サービスを保障するため、地方交付税という全国的な財政調整機能があります。沖縄には復帰まで一切交付されませんでした。

 (5)基地問題に対する政府の対応

 平成27年4月に安倍総理大臣と会談した際に総理大臣が私におっしゃったのが、「普天間の代替施設を辺野古に造るけれども、その代わり嘉手納以南は着々と返す。またオスプレイも沖縄に配備しているけれども、何機かは本土のほうで訓練をしているので、基地負担軽減を着々とやっている。だから理解をしていただけませんか」という話でした。それに対して私は総理大臣にこう申し上げました。「総理、普天間が辺野古に移って、そして嘉手納以南が返された場合に、いったい全体沖縄の基地はどれだけ減るのかご存じでしょうか」と。これは以前、当時の小野寺防衛大臣と私が話をして確認したのですが、普天間が辺野古に移って、嘉手納以南のキャンプキンザーや、那覇軍港、キャンプ瑞慶覧とかが返されてどれだけ減るかというと、今の米軍専用施設の73・8%から73・1%、0・7%しか減らない。では、0・7%しか減らないのはなぜかというと、普天間の辺野古移設を含め、その大部分が県内移設だからです。

 次に総理大臣がおっしゃるようにそれぞれ年限をかけて、例えば那覇軍港なら2028年、それからキャンプキンザーなら2025年に返すと言っています。それを見ると日本国民は、「おお、やるじゃないか。しっかりと着々と進んでいるんだな」と思うでしょう。しかし、その年限の後には、全て「またはその後」と書いてあります。「2028年、またはその後」と書いてあるのです。沖縄はこういったことに70年間付き合わされてきましたので、いつ返還されるか分からないような内容だということがこれでよく分かります。ですから、私は、総理大臣に「沖縄の基地返還が着々と進んでいるようには見えませんよ」と申し上げました。

 それから、オスプレイもほぼ同じような話になります。オスプレイも本土の方で分散して訓練をしていますが、実はオスプレイが2012年に配備される半年ぐらい前から沖縄に配備されるのではないかという話がありました。当時の森本防衛大臣などにも沖縄に配備されるのかと聞きに行きましたが、「一切そういうことは分かりません」と言っておられました。

 その森本さん自身が学者時代の2010年に出された本に「2012年までに最初の航空機が沖縄に展開される可能性がある」と書いておられます。防衛省が分からないと言っているものを、一学者が書いていてそのとおりになっているのです。私はその意味からすると、日本の防衛大臣というのは、防衛省というのはよほど能力がないか、若しくは県民や国民を欺いているかどちらかにしかならないと思います。森本さんの本には「もともと辺野古基地はオスプレイを置くために設計をしている。オスプレイが100機程度収容できる面積が必要」ということが書いてあります。そうすると今24機来ました。何機か本土に行っています。しかし、辺野古新基地が建設されると全て沖縄に戻ってくるということです。それが予測されるだけに、私は総理大臣にこのような経緯で、政府が今、沖縄の基地負担軽減に努めているとおっしゃっていることはちょっと信用できませんということを申し上げました。

 また、13年前、当時のラムズフェルド国防長官が普天間基地を視察されました。そして基地を見て「これは駄目だ、世界一危険だから早く移転をしなさい」ということをおっしゃったことが報じられました。そして今、菅官房長官なども再三再四、世界一危険とも言われる普天間飛行場は辺野古に移すと言っておられます。私が日本政府に確認したいのは、ならば辺野古新基地が造れない場合に、本当に普天間は固定化するのですかということです。アメリカ政府、日本政府の主要の人間がこれだけ危険だと言っている普天間基地を、辺野古新基地ができない場合に固定化できるのですかということをお聞きしているわけです。私のこの問いに対し、安倍総理大臣からは返事がありませんでした。

 2プラス2共同発表には、世界一危険だと指摘されている普天間飛行場の5年以内運用停止が明示されていません。普天間飛行場の5年以内の運用停止について、前知事は県民に対して「一国の総理大臣および官房長官を含め、しっかりと取り組むと言っている。それが最高の担保である」と説明しています。5年以内運用停止は前知事が辺野古新基地に係る公有水面埋立承認に至った大きな柱であります。しかし、米国側からは日米首脳会談でも、この件に言及することはありませんでした。5年以内運用停止は埋立承認を得るための話のごちそう、「話クワッチー」、空手形だったのではないかと私は危惧しております。

 今日まで、基地問題がさまざまな壁にぶつかる時に、時の政府は、基地問題の解決あるいは負担軽減策等々、大変いい話をして、その壁を乗り越えたら知らんふりをするということを繰り返してきました。その結果、多くの県民は今ではそのからくりを理解しています。これが70年間の沖縄の基地問題の実態なのです。

 (6)県民世論

 普天間飛行場の返還を20年間できなかったということについて、政府に反省がないと思います。なぜ20年間、返還を実現できなかったのですかということに政府は答えておられない。ですから、平成25年、前知事が辺野古新基地に係る公有水面埋立承認をしたことばかり強調されているわけです。

 平成26年、沖縄県は選挙に始まり、選挙に終わった年でした。まず、1月に行われた名護市長選では、辺野古移設反対の候補が再選を果たしました。

 11月に行われた知事選挙では、現職知事を相手に、私が圧倒的な得票で当選を果たしました。そして12月、全国的には自由民主党が290議席という形で圧倒的に勝利した総選挙では、沖縄の4つの小選挙区全てで自由民主党候補が敗れました。

 このような圧倒的な民意が示された中で、地元の理解を得ることなく日米安保体制・日米同盟をこれから安定的に維持できるのか。私が当選した時点で政府側から色々な意見交換や話し合いがあってもよかったのかなという思いがありますが、政府は必ず辺野古新基地を造るというスタンスであり、実現しませんでした。

  それから菅官房長官は、沖縄県民の民意について、いろいろな意見があるでしょうと発言されています。昨年の名護市長選挙、特に県知事選挙、衆議院選挙、争点はただ1つでした。前知事が埋立承認をしたことに対する審判を問うたのです。私と前知事の政策面での違いは埋立承認以外に大きなものはありません。ですからあの埋立承認の審判が今度の選挙の大きな争点であり、その意味で10万票の差で私が当選したことは、沖縄県民の辺野古新基地建設反対という明確な意思が示されたものであります。

4 日米安全保障条約

 私は、自由民主党の県連幹事長をしておりましたので、日米同盟、日米安保を十分理解しておりますが、国土面積のわずか0・6%しかない沖縄県に、73・8%もの米軍専用施設を押し付け続けるのは、いくらなんでもひどいのではないですかということを申し上げているわけです。

 しかし、政府は、どこそこから攻められてきたらどうするのだ、沖縄に海兵隊がいなければとても日本は持たないのではないかという発想で日米安保を考えています。

 世の中はソビエトが崩壊しました。中国も、昔のような中国ではありません。米国と中国がどういう形で米中関係を築いていくか等、こういったことを考えると、70年代のまま全く同じように在沖米軍基地があるべきなのか考える必要があります。30年前、私は自由社会を守るべきだと体を張って頑張りましたが、ソビエトが崩壊し中国の形が変わった今でも、政府からは今度は中東問題のために沖縄が大切、シーレーンのためにも沖縄が大切と、どのように環境が変わっても沖縄には基地を置かなければいけないという説明が繰り返されております。

 沖縄一県に日本の防衛のほとんど全てを押し込めていれば、いざ、有事の際には、沖縄が再び戦場になることは明らかです。

 私は自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国が、どうして世界の国々にその価値観を共有することができるのか疑問に思っています。

 同時に、日米安保体制、日米同盟はもっと品格のある、誇りの持てるものでなければアジアのリーダーとして、世界のリーダーとしてこの価値観を共有することができないのではないかと思っております。

 私はこれまでに橋本総理大臣、小渕総理大臣、そしてその時の野中官房長官、梶山官房長官等々、色々と話をする機会がありました。野中先生なども国の安全保障体制の考え方に違いがありませんが、当時、県会議員の1、2期の私に、土下座せんばかりに「頼む。勘弁してくれ。許してくれ」とお話をされるような部分が、どの先生にもありました。後藤田正晴先生も私が那覇市長になった15年程前にお会いしたら「俺は沖縄に行かないんだ」とおっしゃいました。私は沖縄が何か先生に失礼なことをしたのかなと思ったのですが、その後の話に胸が熱くなりました。「かわいそうでな。県民の目を直視できないんだよ、俺は」とおっしゃったのです。こういう方々がたくさんおられました。

 そういった中で、日本の安全保障あるいはアジアの安定、日米同盟の大切さ、あるいは中国が台頭してきている米中の関係等も全て踏まえながら、沖縄への思いを伝えながらの対話でありました。私も基本的には「こんなに基地を置いてもらっては困りますよ」と申し上げましたが、沖縄への深い思いを抱いていた当時の先生方とは、対話は成り立っていたのです。

 しかしながら、この5、6年というのは全くそれが閉ざされてしまっています。沖縄の歩んできた苦難の歴史への反省や洞察が十分ないまま、沖縄が何か発言すると、政府と対立している、振興策はあれだけもらっていて何を文句を言っているのだ、生意気だと非難されます。今のような状況を考えますと、戦後27年間、その間に日本の独立と引換えに沖縄が切り離され、米軍施政権下に置かれ続けた、あの時代は何だったのだろうと思います。

  いつまでも昔の話をするなという方がいるかもしれません。しかし、本当の対話を可能にするには、こういう昔の出来事の話からしなければならないのです。仮に海兵隊が全ていなくなれば、あるいは少しは残ったとしても、私は「過去は過去」という話になり得ると思います。しかし、国土面積のわずか0・6%しかない沖縄県に、73・8%もの米軍専用施設を置いたまま、これから10年も20年、あるいは30年もとなると、やはり日米安保、日米同盟というのは砂上の楼閣に乗っているような、そういう危ういものになるのではないかと思っています。

5 前知事の突然の埋立承認

 平成22年の県知事選では私は仲井眞前知事の選対部長をして普天間飛行場の県外移設ということで選挙を戦い、前知事が当選を果たしました。2カ年半は全く同じ考え方を発信しながらやっておりました。

 実際、仲井眞前知事の議会等でのご発言を見ていただければ分かりますが、私が今申し上げていることとほとんど同じようなことを話しています。

 例えば、私がよく、危険な普天間基地の移設について、嫌なら沖縄が代替案を出せ等と言われることに対して、「日本の国の政治の堕落だ」ということを申し上げますが、実は、この言葉は、他でもない仲井眞前知事が発したものでした。それだけに、突然、公約を破棄する形で埋立承認をされ、これによって今日の事態が生じているわけでありますから、今思い返しても大変残念であり、無念な出来事だったと思っております。

  安倍総理大臣との会談後、「有史以来の予算。これはいい正月になる」と記者会見で満面の笑みを浮かべたわずか2日後に行われた、辺野古の埋立承認でした。多くの県民は、あたかも振興策と引き替えにしたような承認に、誇りを傷つけられました。それは同時に、承認手続そのものへの不信感を招く結果ともなったのです。

6 前知事の承認に対する疑問-取消しの経緯

 (1)仲井眞前知事の埋立承認についての疑問

 仲井眞前知事の突然の埋立承認に対する疑問は、あまりに突然の対応の変化が不自然であったという感覚的なものだけではありませんでした。承認に至る手続の中で示されてきた知事意見や生活環境部意見を踏まえても判断を誤っているのではないかと思われるものでした。

 ア 埋立承認に至る経緯をみますと、まず、仲井眞前知事は、平成24年3月に、辺野古埋立事業についての環境影響評価書についての意見を述べましたが、その内容は、「評価書で示された環境保全措置等では、事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全を図ることは、不可能と考える」というものでした。

 イ その後、平成25年11月には、「普天間飛行場代替施設建設事業公有水面埋立承認願書に対する名護市長意見書」が名護市議会において可決され、同月27日に沖縄県に提出されておりましたが、同意見書は、「環境保全に重大な問題があり、沖縄県知事意見における指摘のとおり、事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全を図ることは不可能であると考え、本事業の実施については強く反対いたします。本件申請については、下記の問題があると考えられますので、未来の名護市・沖縄県への正しい選択を残すためにも、埋立ての承認をしないよう求めます」というものでした。

 ウ 同じ頃、県では、土木建築部海岸防災課・農林水産部漁港漁場課により、審査状況について中間報告が提出されております。同報告は、「『事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全を図ることは不可能』とした知事意見への対応がポイント」とするとともに、「環境生活部の見解を基に判断」するとしていました。

 そして、平成25年11月29日、環境生活部長から土木建築部長宛に、環境生活部長意見が提出されております。そこでは、環境保全の見地から、18項目にわたって詳細に問題点を指摘したうえで、「当該事業に係る環境影響評価書に対して述べた知事等への意見への対応状況を確認すると、以下のことなどから当該事業の承認申請書に示された環境保全措置等では不明な点があり、事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全についての懸念が払拭できない」と結論づけていました。

 その後、土木建築部から環境生活部への再度の照会等はなされておりませんので、この結論が、環境生活部の最終意見ということになっているのです。

 エ 仲井眞前知事の埋立承認は、それからわずか1カ月後でした。環境生活部の最終意見についてどうやって対応できたのか、非常に疑問が残る突然の承認であったのです。

 (2)第三者委員会の設置と国との集中協議

 ア このように、前知事の承認は、単純に公約違反というような政治的な意味合いにとどまらない問題をはらんでいると思われました。世論はもちろん、環境関係の専門家らから要件を充足していない違法な承認であるとの抗議が一斉に起きたのです。

 そこで、平成26年12月に知事に就任した私は、まず、埋立承認に法律的な瑕疵(かし)がないか確認することとしました。平成27年1月26日に第三者委員会を設置し、環境面から3人、法律的な側面から3人の6人の委員に依頼して、客観的、中立的に判断していただくようお願い致しました。

 その結果、平成27年7月16日に法律的な瑕疵があったとの報告を受けました。報告書は、約130頁に及ぶもので、公水法の各要件について詳細な検討がなされておりました。

 イ その後、平成27年8月10日から9月9日まで、沖縄県と国とが集中的に協議をするということで国が工事を中止して、会議が始まりました。

 私はその中で沖縄県の今日までの置かれている立場、歴史、県民の心、基地が形成されてきた過程、あるいは沖縄県の振興策のあるべき姿や現状を説明し、ご理解を得られるよう最大限努力しました。5回の集中協議の中で、私の考え方をまんべんなく申し上げましたが、国から返ってくる言葉はほとんどなく、残念ながら私の意見を聞いて考えを取り入れようというものは見えてきませんでした。

 集中協議では、ある意味で溝が埋まるようなものが全くない状況でございました。協議の中でも、私どものいろいろな思いをお話させていただきましたが、1つ議論が少しできたのは、防衛大臣との抑止力の問題だけで、それ以外は、閣僚側から意見、反論はありませんでした。

 その抑止力の問題についてですが、一つには、沖縄一県に米軍基地を過度に集中させている現状にあります。このことは他国からすれば、日本全体で安全保障を守るという気概が見えず、日本の安全保障と抑止力の観点から深刻な問題であると考えています。

 また、防衛省は、海兵隊が沖縄に駐留する必要性として、海兵隊の機動性、即応性、一体性を挙げて説明します。しかし、海兵隊は今でも、各国の基地にローテーション配備されている状況にあります。防衛省が主張する機動性等は、逆に沖縄以外での配備が十分に可能であることを示すものであり、沖縄に配備し続ける理由たり得ないのです。

 この他にも、海兵隊は西日本にあれば足りるとする森本元防衛大臣の発言や、海兵隊の分散配備を可能とする中谷防衛大臣の過去の発言など、沖縄に起き続けなければならないことを否定するような話は、政府高官からも出ているのです。

 抑止力と関連しまして中国の脅威でありますけれども、中谷防衛大臣からは、中国軍機によるスクランブルや尖閣への領海侵犯の説明とともに、宮古にも石垣にも与那国にも自衛隊基地を置く必要があるとの話がありました。

 私が申し上げたのは、それでは、私たちが27年間、米軍の施政権下にあったときのソビエトとの冷戦構造時代は、今の時代よりは平和だったのでしょうかと。その過去と比べて、いわゆる今の中国の脅威というものは、あの冷戦構造時代よりももっと脅威になっているのかどうか。日本政府は積極的平和主義ということで、オバマ大統領と協定を結び、これから中東も視野に入れて、沖縄の基地を使うと言っているのです。

 沖縄は、冷戦構造のときには自由主義社会を守るという理由で基地が置かれ、今度は中国を相手に、さらには中東までも視野に入れて、沖縄に基地を置き続けるということになります。これはまるで、私たちの沖縄というのは、ただ、ただ、世界の平和のためにいつまでも、膨大な基地を預かって未来永劫(えいごう)、我慢しろということを強要されているのに等しいことです。沖縄県民も日本人であり、同じ日本人としてこのような差別的な取り扱いは、決して容認できるはずもありません。

 それから、ジョセフ・ナイ氏や、マイク・モチヅキ氏といった高名な研究者が、「沖縄はもう中国に近すぎて、中国の弾道ミサイルに耐えられない。こういう固定的な、要塞的な抑止力というのは、大変脆弱性がある」というような話もされております。また、米有力シンクタンクの最新の研究でも沖縄の米軍基地の脆弱性が指摘されています。抑止力からすれば、もっと分散して配備することが理にかなっているのです。

 中国のミサイルへの脅威に、本当に沖縄の基地を強化して対応できるのか。これが私からすると大変疑問であります。なおかつオスプレイは運輸、輸送するための航空機であることを考えると、抑止力になるということは、まずあり得ないというのが私の考えです。

 私は、中谷防衛大臣とお話をしたとき、巡航ミサイルで攻撃されたらどうするんですか、と尋ねました。すると大臣は、ミサイルにはミサイルで対抗するとおっしゃったのです。迎撃ミサイルで全てのミサイルを迎撃することは不可能ですし、迎撃に成功した場合でも、その破片が住宅地に落ちて大きな被害を出したことを、私たちは湾岸戦争等を通じて知っています。ですから、防衛大臣の発言を聞いたときには、私は心臓が凍る思いがしました。そして、沖縄県を単に領土としてしか見ていないのではないか、140万人の県民が住んでいることを理解していないのではないかと申し上げたのです。

 4回目の協議で菅官房長官と話をした際、沖縄県の色々な歴史、県民の心を話して、それについてのお考えはありませんかと申し上げましたが、その時に官房長官が何とおっしゃったかといいますと、私は戦後生まれで、なかなかそういうことが分かりにくいと。また、普天間の原点は橋本・モンデール会談ですとおっしゃっていました。

 私なりに言葉を尽くして説明しましたが、この発言には驚かされました。そしてこの方には、沖縄の抱える問題についてご理解いただけない、理解するつもりもないのではないかという印象を抱いた次第です。

 5回目の最後の協議には、安倍総理大臣も出席されておりました。私は安倍総理大臣にはこういう話をしました。

 私たちがアメリカ、ワシントンD.C.に行きまして、米国政府関係者に話を聞いていただいても、最後は国内問題だから日本政府に言いなさいとなります。

 そして、日本政府に申し上げると、アメリカが嫌だと言っていると。こういうものが過去の歴史で何回もありました。

 私はそれを紹介した後に、沖縄が米軍の施政権下に置かれているときに、沖縄の自治は神話だと高等弁務官から言われましたが、日本の真の独立は神話だと言われないようにしてください、ということを総理大臣に申し上げたわけです。しかし、総理大臣からは何も意見はありませんでした。

 そういう状況の中で、最後の集中協議の場で、私の方から、このまま埋立工事を再開する考えなのか尋ねたところ、菅官房長官からは「そのつもりです」という話があり、事実、協議期間の終わった翌日には有無を言わさず工事を再開する政府の姿勢に、沖縄のみならず日本の行く末に大きな不安を感じた次第です。

 集中協議の終了後、顧問弁護士や県庁内での精査の結果、承認には取り消し得べき瑕疵があることが認められたため、私は取消しの決意を固めました。

 ウ 今回、取消手続の中で、意見聴取、あるいは聴聞の期日を設けましたが、沖縄防衛局長には応じていただけませんでした。陳述書は提出されましたが、聴聞に出頭してもらえなかったことを考えますと、政府の皆様が繰り返しおっしゃられる「沖縄県民に寄り添ってこの問題を解決する」姿勢は微塵(みじん)も感じられませんでした。

 こうした意見聴取、聴聞という取消手続を経て今回の承認取消しに至るわけですが、これはもうある意味で沖縄県の歴史的な流れ、あるいはまた戦後70年の在り方、そして現在の、0・6%に73・8%という、沖縄の過重な基地負担、ひいては日米安保のあり方等について、多くの県民や国民の前で議論されることに意義があると思います。

 いろんな場面、場面で私たちの考え方を申し上げて、多くの県民や国民、そして法的な意味でも政治的な意味でも理解していただきたいと思っております。

 なお、原告である国土交通大臣は、地方自治法に基づく代執行手続に入る前日に、沖縄防衛局長が行った審査請求に対し、審査庁として取消処分を停止する決定を行っております。準司法的手続であり、審査庁である国土交通大臣には厳格な中立性が求められます。その審査庁自身が、原告として知事を訴えるという、異様としか言いようのない対応が行われています。法治国家であることを自ら否定するような国土交通大臣の対応は、沖縄県民の民意を踏みにじるためなら手段を選ばない、米軍基地の負担は、沖縄県だけに押しつければよいという、安倍内閣の明確な意思の表れに他なりません。

 しかし、沖縄県にのみ日米安全保障の過重な負担を強要する政府の対応そのものが、日本の安全保障を危うくしかねない問題をはらんでいます。やはり日本全体で日米安全保障を考えるという気概がなければ、日本という国がおそらく他の国からも理解されないだろう、尊敬されないだろう、というように考えます。

 (3)承認取消へ

 前述のとおり、第三者委員会による報告を受けた後、集中協議においても、なぜ基地の過重な負担に苦しむ沖縄の辺野古に新たに基地を造らなければならないのか等について質問させていただきましたが、納得のいく回答は全く得られませんでした。そのうえ、菅官房長官は、協議終了後には、工事を再開すると言われました。

 そこで、顧問弁護士や県庁内での精査の結果、承認には取り消し得べき瑕疵があることが認められたため、平成27年10月13日に、前知事の承認処分を取り消しました。

 (4)政府の対応

 沖縄防衛局長が取消通知書を受け取った日の翌日に審査請求を行ったことは、新基地建設ありきの政府の強硬姿勢を端的に示すもので誠に残念でした。

 行政不服審査法は、国や地方公共団体の処分等から国民の権利利益の迅速な救済を図ることを目的としておりますが、国の一行政機関である沖縄防衛局が、自らを国民と同じ「私人」であると主張して審査請求を行うことは、同法の趣旨にもとる行為であり、国民の理解を得られないと思います。

 また、「辺野古が唯一」という政府の方針が明確にされている中で、同じ内閣の一員である国土交通大臣に、本件について審査請求を行うことは不当という他ありません。いずれにしても、行政不服審査法の運用上悪しき前例になるものと考えております。

 執行停止につきましては、去る平成27年10月21日、900ページを超える意見書とこれに関する証拠書類を提出しました。その際、国土交通大臣に対しては、「県の意見書を精査し、慎重かつ公平にご判断いただきたい」旨申し上げました。

 「辺野古が唯一」という政府の方針が明確にされてはおりますが、国土交通大臣におかれては、審査庁として公平・中立に審査されると期待しておりました。しかし、それが実質2、3日のわずかな期間で、しかも、沖縄防衛局長が一私人の立場にあるということを認めた上で執行停止の決定がなされたことに、強い憤りを覚えました。この執行停止決定については、やはり内閣の一員として結論ありきの判断をされたと言わざるを得ません。

 このような国土交通大臣の執行停止決定は違法な関与行為であると考え、沖縄県では国地方係争処理委員会に対して審査を申し出ております。

 理由としては2点あります。

 第1に、代執行手続には、執行停止の手続が定められておりません。このたびの本件執行停止は、まさしく、代執行手続が進められている間も埋立工事を行うための方便として使われているものにほかなりません。政府は、「辺野古が唯一」との方針を明確に示しておりますが、憲法上、内閣の構成員は一体となって統一的な行動をとることが求められています。沖縄防衛局長は、防衛大臣の指揮命令を受けて業務に従事しているに過ぎず、また、内閣の構成員である国土交通大臣が、閣議決定等が行われている辺野古移設の方針に反する判断を下すことは不可能であります。したがって、今回の審査請求では、判断権者の公正・中立という行政不服審査制度の前提が欠落していると言わざるを得ません。

  第2に、本来、公有水面埋立承認は、国が米軍基地の建設を目的として、「固有の資格」、つまり私人には行い得ない立場において受けたものです。本件執行停止決定が、沖縄防衛局長を私人と同様の立場にあると認めたのは明らかに誤っております。この点につきましては、90名を超える行政法学者からも批判されております。

7 主張

 (1)政府に対して

 私は1カ月間の集中協議の中で、沖縄の歩んできた苦難の歴史や県民の思い等々を説明しました。その置かれている歴史の中で戦後の70年があったわけで、その中の27年間という特別な時間もありました。そして、復帰後も国土面積の0・6%に在日米軍専用施設の73・8パーセントの基地があるという状況に変わりがありません。それは米軍施政権下の1950年代に日本本土に配備されていた海兵隊が、反対運動の高まりにより、沖縄に配置された結果、沖縄の基地は拡充され、今につながっているのです。

 このように沖縄の歴史や置かれている立場等をいくら話しても、基地問題の原点も含め、日本国民全体で日本の安全保障を考える気概も、その負担を分かち合おうという気持ちも示してはいただけませんでした。そのような状況に対して、私は「魂の飢餓感」という言葉を使うほかありませんでした。

 政府に対しては、辺野古新基地が出来ない場合、これはラムズフェルド国防長官が普天間は世界一危険な飛行場だと発言され、官房長官も国民や県民を洗脳するかのように普天間の危険性除去の為に辺野古が唯一の政策だとおっしゃっていますが、辺野古が出来なければ本当に普天間の危険性を固定化しつづけるのか、明確に示していただきたいと思います。 

 そして、埋立てを進めようとしている大浦湾は、「自然環境の保全に関する指針(沖縄島編)」において、大部分が、「自然環境の厳正な保護を図る区域」であるランク1に位置づけられています。この美しいサンゴ礁の海、ジュゴンやウミガメが生息し、新種生物も続々と発見され、国内有数の生物多様性に富んでいる海を簡単に埋めて良いのか。一度失われた自然は二度と戻りません。日本政府の環境保護にかける姿勢について、国内だけではなく、世界から注視されています。

 安倍総理大臣は第一次内閣で「美しい国日本」と、そして今回は「日本を取り戻そう」とおっしゃっています。即座に思うのは「そこに沖縄は入っていますか」ということです。そして「戦後レジームからの脱却」ともおっしゃっています。しかし、沖縄と米軍基地に関しては、「戦後レジームの死守」のような状況になっています。そしてそれは、アメリカ側の要望によるものではなく、日本側からそのような状況を固守していることが、様々な資料で明らかになりつつあります。沖縄が日本に甘えているのでしょうか、日本が沖縄に甘えているのでしょうか。これを無視してこれからの沖縄問題の解決、あるいは日本を取り戻すことはできないと考えています。沖縄の基地問題の解決は、日本の国がまさしく真の意味でアジアのリーダー、世界のリーダーにもなり得る可能性を開く突破口になるはずです。辺野古の問題で、日本と沖縄は対立的で危険なものに見えるかもしれませんが、そうではないのです。 

 沖縄の基地問題の解決は、日本が平和を構築していくのだという意思表示となり、沖縄というソフトパワーを使っていろいろなことができるでしょう。さまざまな意味で沖縄はアジアと日本の懸け橋になれる。そして、アジア・太平洋地域の平和の緩衝地帯となれるのです。 

 辺野古から、沖縄から日本を変えるというのは、日本と対立するということではありません。県益と国益は一致するはずだ、というのが、私が日頃からお話していることなのです。

 琉球処分、沖縄戦、なぜいま歴史が問い直されるのか。それは、いま現に膨大な米軍基地があるから過去の歴史が召還されてくるのです。極端に言うと、もし基地がなくなったら、一つのつらい歴史的体験の解消になりますから、「過去は過去だ」ということになるでしょう。銃剣とブルドーザーで奪われた土地が基地になり、そっくりそのままずっと置かれているから、過去の話をするのです。生産的でないから過去の話はやめろと言われても、いまある基地の大きさを見ると、それを言わずして、未来は語れないのです。ここのところを日本国が気づいていないものと考えております。

 (2)国民、県民、世界の人々に対して

 よく私が辺野古移設反対と述べると、本土の方から、「あなたは日米安保に賛成ではないですか」と質問されます。私が「賛成です」と答えますと「なぜ辺野古移設に反対するのですか」と続きます。その時に私は「本土の方々は日米安保に反対なのですか。賛成ならば、なぜ米軍基地を受け入れないのですか」と申し上げています。こういったものの見方が沖縄と本土の人とでは完全にすれ違っているのだと考えています。

 米軍基地問題はある意味では沖縄が中心的な課題を背負っているわけですが、日本という国全体として、地方自治、本当に一県、またはある特定の地域に、こういったことが起きた時に日本としてどう在るべきか、今回の件は多くの国民に見て、考えてもらえるのではないかと思っております。そういう意味からしますと、一義的に沖縄の基地問題あるいは歴史等々を含めたことではありますが、日本の民主主義、安全保障というものに対して、国民全体が真剣に考えるきっかけになってほしいと思っております。

 平成26年12月に知事に当選した私が、官邸の方とお会いしようとしても、全く会ってもらえませんでした。いろいろ、周辺から意見がございましたが、私があの時、今のあるがままを見て、県民も国民も考えてもらいたい、ということを3月までずっと言い続けてきたわけであります。

 政府は、大勢の海上保安官や警視庁機動隊員を現場に動員し、行政不服審査法や地方自治法の趣旨をねじ曲げてまで、辺野古埋め立て工事を強行しています。それに対して、私たちは暴力で対抗することはしません。法律に基づく権限を含め、私はあらゆる手法を駆使して辺野古新基地建設を阻止する覚悟です。

 そのあるがままの状況を全国民に見てもらう。私からも積極的に情報を発信し、政府とも対話を重ねていきます。そうすることで、今まで無関心、無理解だった本土の方々もこのような議論を聞きながら、小さな沖縄県に戦後70年間も過重な基地負担を強いてきたことをきちんと認識してもらいたい。まして日本のために10万人も県民が地上戦で亡くなって、そういうふうに日本国に尽くして日本国を思っている人々に対し、辺野古新基地建設を強行し、過重な基地負担を延長し続けるということが、どういう意味を持つのか、日本国の品格、処し方を含めて考えていただきたいと思っております。

 いわゆるアジアのリーダー、世界のリーダー、国連でももっとしっかりした地位を占めたいという日本が、自国民の人権、平等、民主主義、そういったものも守ることができなくて、世界のそういったものと共有の価値観を持ってこれからリーダーになれるかどうかという点について、国民全体で考えるきっかけになればいいと思っております。

 国民と県民の皆さん方に知っていただきたいことは、政府は、普天間基地の危険性除去のため辺野古移設の必要性を強調する一方で、5年以内の運用停止を含めた実際の危険性の除去をどのように進めるかについては、驚くほど寡黙なことです。

 辺野古新基地建設には、政府の計画通り進んだとしても10年間かかります。しかし、埋め立て面積が161ヘクタールと広大であること、埋立区域の地形が複雑で最大水深も40メートルを超えること、沖縄が台風常襲地帯であること等を考慮すれば、新基地が実際に供用されるまで、十数年から場合によっては20年以上の歳月が必要となることは、沖縄県民なら容易に推測できます。

 私からは、普天間基地の危険性を除去するため、集中協議で再三再四、5年以内の運用停止の具体的な取組みを求めましたが、安倍総理大臣や菅官房長官などからは、何ら返答をいただくことは出来ませんでした。

 運用停止について一切の言及がなかったことは逆に、政府にとって不都合な真実を浮かび上がらせることになったのではないかと考えています。

 つまり、辺野古新基地が供用開始されるまでの間は、例え何年何十年かかろうとも、現在の普天間基地の危険性を放置し、固定化し続けるというのが、政府の隠された方針ではないか、と言うことです。

 辺野古埋立てにより全てがうまくいく、という政府の説明を真に受けてはいけません。5年以内の運用停止の起点からまもなく2年になるのに、なぜ、全く動かないのか、政府から決して説明されることのない、真の狙いについて、国民、県民の皆様にも、真剣に考えていただきたいと思います。

 そして、普天間飛行場代替施設が辺野古に仮にできるようなことがありましたら、耐用年数200年間とも言われる新基地が、国有地として、私たちの手を及ばないところで、縦横無尽に161ヘクタールを中心としたキャンプ・シュワブの基地が永久的に沖縄に出てくることになり、沖縄県民の意志とは関係なくそこに大きな基地ができあがってきて、それが自由自在に使われるようになります。

 今、中国の脅威が取りざたされておりますけれども、その意味からすると200年間、そういった脅威は取り除かれない、というような認識でいるのかどうか。そして今日までの70年間の基地の置かれ方というものについてどのように反省をしているのか。日本国民全体で考えることができなかったことについて、どのように考えているのかを問いたいのです。

 私は、世界の人々に対しても、ワシントンD.C.や国連の人権委員会で沖縄の状況について説明させていただきました。

 安倍総理大臣は、国際会議の場等で、自由と平等と人権と民主主義の価値観を共有する国と連帯して世界を平和に導きたい、というようなことを繰り返し主張されておられます。しかしながら、私は、今の日本は、国民にさえ自由、平等、人権、あるいは民主主義というようなものが保障されていないのではないか、そのような日本がなぜ他の国々とそれを共有できるのか、常々疑問に思っておりました。そこで、沖縄の状況を世界に発するべきだと考えたのです。

 民主主義国・日本、民主主義国・アメリカとして本当にこの状況に、世界の人々の理解を得られるのかどうか、沖縄の状況のあるがままを世界の人々に見ていただくということは、これからの日本の政治の在り方を問うという意味でも大切なことだと思っています。

 (3)アメリカに対して

 私たちがアメリカに要請に行くと「基地問題は日本の国内問題だから、自分たちは知らない」と、必ずそうおっしゃいます。

 しかし、自然環境保全の観点から、また、日米安保の安定運用や日米同盟の維持を図る観点から、アメリカは立派な当事者なのです。傍観者を装う態度は、もはや許されません。

 まず、新基地が建設される辺野古の海は、ジュゴンが回遊し、ウミガメが産卵し、短期間の調査で新種の生物が多数発見される、日本国内でも希有(けう)な、生物多様性に富む豊かな海です。海は一度埋め立ててしまったなら、豊かな自然は永久に失われます。未発見の生物を含め、辺野古大浦湾にしか生息しない多くの生物が絶滅を免れません。深刻な自然環境の破壊と多くの生物を絶滅に追いやるのが日米両政府であり、海兵隊であることを、アメリカの人々はきちんと認識し、受け止めなければなりません。海兵隊基地を建設する以上、自然環境破壊の責任は、アメリカにもあるのです。

 次に、日米同盟の維持についてですが、アメリカに対し、私自身が安保体制というものは十二分に理解をしていること、しかしながら、沖縄県民の圧倒的な民意に反して辺野古に新基地を建設することはまずできないということを訴えていきたいと思います。仮に日本政府が権力と予算にものを言わせ、辺野古新基地建設を強行した場合、沖縄県内の反発がかつてないほど高まり、結果的に米軍の運用に重大な支障を招く事態が生じるであろうことは、想像に難くありません。

 私は安保体制を十二分に理解をしているからこそ、そういう理不尽なことをして日米安保体制を壊してはならないと考えております。日米安保を品格のある、誇りあるものにつくり上げ、そしてアジアの中で尊敬される日本、アメリカにならなければ、アジア・太平洋地域の安定と発展のため主導的な役割を果たすことはできないと考えております。以上