エディターズノート







琉球新報編集局長 嘉数 武

琉球新報編集局長
嘉数 武

来年につながる一歩


  今年も、 間もなく1年が終わろうとしているが、 振り返れば、 めまぐるしく時間が駆け抜けた1年だった気がする。


 とりわけ、 参院選後の流れは早く感じる。 巨大与党の国会運営が一転し、 伏せられていた事実まで次々出るから、 予定されていた会期がいつの間にか消化される。


 肝心の議案が足踏みで、 国民に不利益な事態も予想されるが、 それを承知で〝ねじれ国会〟をつくったのだろうから、 ここは我慢するしかない。 この10年ほど、 巨大与党の下、 強行採決で不十分な論戦だったので、 国民の前で議論が尽くされる傾向は、 国政史上に残る良い国民の選択だったかもしれない。


 県内でも、 大きな出来事があった。 教科書検定で軍の自決命令をめぐる文科省の改定意見に、 多くの県民が反発、 1995年の大会を上回る人が集まり、 沖縄の怒りを発信して大会を成功させた。


 あらためて、 県民が沖縄戦から学んだ教訓の深さと、 その風化、 歪曲に対する警戒心の強さを知らされた。


 記者になって以来、 毎年、 沖縄戦を取材、 あるいは同僚の記事で、 沖縄戦を学んだつもりだったが、 この教科書改定の動きのなかで、 県民の沖縄戦への強い思いを知らされた。


 一連の動きのなか最初に驚いたのは、 元県教育長の米村幸政さんの証言だった。 改定の動きが出た当初の本紙紙面だ。 自ら少年義勇隊として加わり、 手りゅう弾が住民に配られたことを話し、 「軍命」 を消し去ろうとする動きに憤慨した。 そして、 「何かが崩れ始めている」 と、 時代への危機感を訴えた。


 教育長時代に身近で接したが、 そのような話を聞く機会がなかったから、 この記事に驚いた。 多くの方からも、 私と同様の受け止め方で話題になったと聞いた。 さらに言えば、 この記事が多くの人に、 発言・行動するきっかけを与え、 大きな広がりをみせたと思う。


 県民大会の実現に向けて奔走した、 県子ども育成連絡協議会の玉寄哲永会長も、 その熱意が意外だった。 弟を失い、 戦場を逃げ惑うなかで、 日本軍の強奪の被害を経験したことも初めて知った。 たまに、 グラスを傾ける機会もあるが、 いつもは好々爺とした表情が、 県民大会にかける熱意と、 沖縄戦が理解してもらえぬ悔しさで歪むと、 62年という歳月も昔のことでなく近くにあると感じた。


 2人に加え、 自らの体験を話し、 県議会で全会一致の意見書可決の流れをつくった仲里利信県議会議長の3人が、 県民大会と結ぶ人として、 私には強く残っている。


 もう一つ私の印象に残る動きがある。 超党派有志50人による 「復帰35年・沖縄宣言」 の発表だ。 きっかけは、 本紙論壇に仲本安一さんが書いた 「島ぐるみ運動もう一度」 という記事だが、 多くの人から反響があり、 連名で宣言の発表へと発展した。 県民に、 アイデンティティーと自治への気概を訴えた。


  「参院選」 「県民大会」 「沖縄宣言」 ―選挙、 発言・集会、 宣言と、 それぞれの形で、 いずれも自らの意思を表現した。 「沈黙」 の時代から、 新しい一歩を歩み始めた。 そんなふうに今年を締めくくり、 来年に期待したい。



(琉球新報編集局長)