【キラリ大地で】ロサンゼルス/親泊健さん(50)那覇市出身 レストラン6店展開


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親泊健、多美子さん夫妻=ウエストウッド店

 日本食レストラン・ビジネスで成功している日系人は数多いが、カリフォルニアだけでこれほどの店を所有している人は他に類を見ないであろう。
 6軒目を12月1日、ウエストウッドにオープンした大和レストラングループ代表取締役社長の親泊健さん(50)は那覇出身である。

 これまではロサンゼルス郊外を主体にビジネスを展開してきたが、今回はロスの花形ビジネス街ウイルシャー通りに面し、「粋」がテーマのおしゃれで高級志向な店だ。
 親泊さんが夢と希望を胸に、わずかな所持金だけでロスの地を踏んだのが1980年。英語がほとんど話せず、技術を持っていたわけでもなく、日々、日本食レストランの皿洗いに明け暮れた。
 しばらくして調理場でシェフの手伝いをするキッチンへルパーの経験を積み、さらにすしシェフ、鉄板シェフ、バーテンダーなど一通り経験し、入社3年後にはマネジャーに抜てきされた。
 経験を基に1984年、わずかな資本を元手にロス郊外のシーミーバレーで日本食レストランを開業。名前を「ケン・オブ・ジャパン」とした。しかし、客はさっぱり。鳴かず飛ばずで閉店間際まで追い詰められた。
 「これじゃだめだ。いいものを出さないと、客は戻ってこない。どうせつぶれるならできるだけいいものを出そう」と考えた。
 それから3年。従業員は45人、売り上げも10数倍、1カ月に15万ドル(約1800万円)を売上げる店になった。
 その店を、買ったときの10倍以上の値段で売却し、オックスナードにさらに大きな店を開店。その店も順調に伸び、3年後には100万ドルで売却した。手にした資金300万ドル(約3億4000万円)を全てゴルフ・ショップに投資したが、倒産の憂き目にあった。1993年のことだ。
 多くの借金を抱えたが、債権者には「必ず返す」と約束し、次のビジネス展開のために、個人破産だけは逃れた。
 その後は、妻の多美子さんと2人で、知人のショッピングセンターの管理の仕事を請け負った。その管理ビジネスの成功で、やがて借金を完済。ショッピングセンターを知人から譲り受け、レストラン・ビジネスの再開となった。
 「大和」チェーンとして会社組織に育て上げ、レストランをチェーン店として次々に開店。1998年にアゴラヒルズ大和1号店、2000年にバレンシア2号店、02年にエンシノ3号店、06年にラグナヒルズ四号店。04年には、コスタメサ回転寿司1号店を開店し、現在は6店舗となっている。
 今後は、フランチャイズにしてもっともっと事業を拡大していく計画だ。
 親泊さんは「ダイニングとは、ただ空腹を満たすだけでなく、そこには人と人とのコミュニケーション、そして新しい文化との出会いがある。大和レストランは、食を通じて日本の伝統や文化を伝え、より多くの人々に日本食の素晴らしさを知ってもらうのが使命」と事業の醍醐(だいご)味を語っている。
 (当銘貞夫・ロサンゼルス通信員)