<金口木舌>奉納芸能に込めた思い


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 名護城は14世紀初期に周辺地域を治めていた名護按司の居城とされる。650段ある階段の両側に植えられたカンヒザクラは壮観そのもの。毎年1月の開花時期には多くの人が訪れる名護城だが、普段も景観のよさから地元の人が散歩に訪れる

▼城下は城区。名護城の桜は1928年に城区青年団の発意で50本あまりが植えられたのが起源とされる
▼長い石造りの階段を上るのは体力的にきついが、先日、太鼓の音に誘われて登り切った。太鼓の音に合わせて円になって踊る奉納舞踊だった
▼毎年、旧暦の9月9日に執り行われている奉納舞踊と、旧暦の9月9日、10日の城公民館での伝統舞踊の宴。名護城の御庭に建てられた神アサギの前には区の役員らが少数いただけで、コロナ前のにぎやかさは戻っていない
▼他のほとんどの地域と同じように、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、2年続けて御嶽での御願と奉納舞踊にのみ縮小された伝統行事。名護市によると城区など名護地区の自治会の加入率は3割弱まで減少しており、コロナ後も以前のように盛大な行事を開催できるか見通せない
▼奉納舞踊で赤い着物を着て踊っていた東江中の渡口優生さんと知念咲良さん。いとこの2人は幼少時から伝統行事に親しんできた。「区が少しでも盛り上がれば」との思いで奉納した踊りは、きっと花を咲かせるだろう。