<金口木舌>県民のために

 大きな荷物を下ろしたかのように晴れ晴れとしていた。2009年7月の衆院解散で勇退した仲村正治さんを取材して記事を書いた

▼前年9月に不出馬の意向を表明しており、「やっと引退」と柔和な笑顔を浮かべた。重鎮として自民党沖縄県連を率いる責務から解放され、安心したのだろう。内閣支持率が下がり続ける自民党には厳しい時期だった
▼そのさなか、サトウキビの新価格制度や沖縄科学技術大学院大学学園法の審議など、沖縄にとって重要な施策の政党間調整に力を尽くした。「県民のためだ」という言葉を何度も耳にした
▼戦後の厳しい時代を生きた政治家として、時には自民党中央の方針に沿わない言動もあった。最終的には党の方針に従ったが、グアム協定ではグアム移転と嘉手納より南の基地返還の「パッケージ」に反対の声を上げた
▼誤った沖縄の歴史認識は許さなかった。新進党所属のころの特別委では、県民が合法的に米軍に土地を貸したとする閣僚の答弁に「略奪手法による土地取り上げの非合法性の正当化は認められない」と憤った
▼自民党復党後、高校教科書検定では、文科省に対し沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の記述に軍関与を明記するよう訴えた。「基地問題になると、共産党のよう」(政府首脳)との声も聞かれた。自民党政権にも厳しい視線と追及を忘れない気骨のある人だった。