<金口木舌>三弦と三味線をつなぎ合わせた三線に

 大陸から琉球に伝わり、さらに日本に渡ったものといえば何か。紅イモ(サツマイモ)をはじめ、さまざま挙がるかもしれない

▼その一つに三線がある。中国の楽器「三弦」が福建から琉球王朝に渡り、あの独特の哀調や壮麗感を帯びた琉球音楽の基盤をなす楽器に生まれ変わった。伝来は14世紀説、15世紀説など諸説あるようだ
▼三線は安土桃山時代、大阪の堺に渡り、やがて「三味線」に改良されたといわれる。三味線は棹(さお)の太さにより細棹、中棹、太棹と多様化し、和楽に欠かせない楽器として発展を遂げた
▼その三つの楽器を集めた特別展が横浜能楽堂で開催中だ。形や大きさはもちろん、それぞれの楽器が醸し出す雰囲気は全く違う。ルーツは古代エジプトとも伝えられるから、その変遷や由来に思いをはせると、想像は果てしなく広がる
▼戦後本土に初出品された琉球王朝時代の名器「富盛開鐘(とぅむいけーじょー)」は、先日亡くなったスーパー「ジミー」創業者の稲嶺盛保さんがハワイから持ち帰ったものだ。ペルーに移民した人が望郷の思いで棹に牛骨を代用したという三線なども展示されている。一丁一丁が時代と物語を背負う
▼三弦と三味線をつなぎ合わせた三線に、東アジア貿易で栄えた琉球が芸能文化の結節、中継拠点でもあったことをあらためて自覚させられる。21世紀の今も変わらない発展のモデルがそこにある。