敗戦から79年となった15日、政府主催の全国戦没者追悼式が行われた。
日本の近現代史を省み、これからの歩みを見据える時、1945年8月15日は常に立ち返るべき原点となる。戦争を拒み、平和を築く国民の意思を再確認する日の意義を私たちは忘れてはならない。
戦争犠牲者を悼み、アジア太平洋の国々への加害責任を問い続けることが平和創造の礎となる。しかし、国政を担う政治家や政府関係者は8月15日の意義を軽んじてはいないか。
岸田文雄首相は全国戦没者追悼式の式辞で、安倍晋三元首相や菅義偉前首相と同様、アジアの国々への加害責任には触れなかった。「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の維持・強化を進め、世界が直面する課題の解決に取り組む」と述べたのは、昨年まであった「積極的平和主義」に相当するものだろう。
このような認識を踏まえ、岸田政権は「戦争ができる国」づくりを進めてきた。
退陣を表明した岸田首相は安全保障3文書の閣議決定で「専守防衛」という日本の防衛政策の国是を覆し、防衛費の増額を進めてきた。今月に入り、憲法9条への自衛隊明記に関する論点を整理するよう党に指示している。戦後日本の支柱をなす平和主義が揺さぶられている。
陸上自衛隊第15旅団がホームページに沖縄戦を戦った第32軍の牛島満司令官の「辞世の句」を載せるなど、戦前の日本軍と今日の防衛省・自衛隊の連続性を疑わせるような動きもあり、看過できない。
現在この国を覆いつつある「新しい戦前」と呼ばれる潮流は今回の式辞からも読み取れよう。国の危険な動きに歯止めをかけるのは世論の力だ。私たちは「戦争犠牲者にも加害者にもならない」という8月15日の誓いを確かなものとしなければならない。
ポツダム宣言を受諾し、天皇の放送によって敗戦を知らされた全国とは異なるかたちで敗戦を迎えた沖縄でも8月15日を捉え直す必要がある。
第32軍の牛島司令官らが自決し、組織的戦闘が終わったとされる6月23日を「慰霊の日」として県民は犠牲者を悼み、平和を希求してきた。
8月15日、本島住民の多くは収容所にいた。マラリアや飢えに苦しむ者も多く、生命の保証はなかった。八重山でも日本軍の強制移動命令が引き起こしたマラリア禍が続いていた。久米島で8月15日以降、日本軍による住民虐殺が起きている。沖縄では戦争は終わっていなかったのだ。
沖縄でも官民で国の戦争遂行を支え、県出身の兵士が中国大陸などの戦場に駆り出された。この事実を見落としてはならない。沖縄も日本の加害責任と無関係ではない。
住民の戦争犠牲と日本の侵略行為への加担。これらの事実を踏まえながら、沖縄にとっての8月15日の意味を考えていきたい。