第60回琉球新報賞は5氏に贈られる。それぞれの専門分野で沖縄社会の発展に尽くしてきた功績に深く感謝する。5氏の足跡は沖縄の未来づくりに大きな指針となろう。
沖縄振興功労の糸数慶子氏はバスガイドから政治の世界に進み、県議を3期、参院議員を3期14年務めた。戦跡を巡る沖縄観光でかつてのガイド内容は軍事を礼賛する色合いが濃かった。疑問を抱いて勉強会を立ち上げ、戦争体験者から聞き取った証言を案内に生かした。沖縄戦に関する学びを原点に「平和の一議席」から沖縄の声を国政に届け続けた。沖縄社会大衆党委員長も務めた。女性の政治参画の促進に向け、後進の育成に当たる。
経済・産業功労の國場幸一氏は國場組社長、会長を務め、那覇商工会議所会頭、県経済団体会議議長と要職を歴任し、県経済界の発展に尽力した。県内建設業最大手の再建を託される形で社長に就任し、関連会社の再編と収益力の強化を図ることで、事実上の銀行管理下にあった経営を立て直した。那覇空港第2滑走路増設や沖縄科学技術大学院大学(OIST)の設置など、沖縄の人材育成、産業の振興、発展にも尽力した。
社会・教育功労の仲地博氏は沖縄大名誉教授で元学長。憲法・行政法の専門家で琉球大でも教壇に立った。国の地方制度調査会の提言を受け、2000年代に活発化した道州制導入の議論の際には「沖縄道州制懇話会」の座長を務め、議論の取りまとめに当たった。懇話会は沖縄の自治権拡大を可能とする特例型単独州の実現を提言。熟議の結果は沖縄振興の在り方など、沖縄の将来像を展望する上でいまも視座を与え続ける。
文化・芸術功労の大湾清之氏は「琉球古典音楽」では4人目の国指定重要無形文化財保持者として認定された。歌三線、笛奏者として卓越した技術で高い評価を得てきた。琉球古典音楽の理論的研究に尽力した。昭和初期の書籍や音源から安冨祖流の歌い方に「型」があることを突き止めた。伝承法の再現にもつながり、沖縄戦などの影響で伝承が途絶えていた「仲節」「長ヂャンナ節」の復曲も成し遂げた。今後の研究の継続にもなお意欲旺盛である。
スポーツ功労の石嶺和彦氏はプロ野球で強打者として活躍した。豊見城高で4度の甲子園出場を果たし、1978年のドラフト2位で阪急へ。3度選ばれたベストナインのうち、1986、87年の2年は指名打者としての選出だった。90年には県出身選手の打撃初タイトルとなる打点王にも輝いた。けがや病気に悩まされながらも地道な鍛錬で活躍し続け、94年にはFA宣言で阪神に移籍。両リーグで安打を量産した経歴は沖縄の子どもたちに夢を与え続ける。
沖縄を導いてきた5氏をたたえ、心から拍手を送る。今後も後進に目を向け、叱咤(しった)してもらいたい。