太平洋戦争関連の日本軍施設を主とした戦争遺跡について、文化庁の近代遺跡調査に報告のあった全国の642遺跡のうち約3割が消失、または大部分消失していることが共同通信の取材で分かった。
遺跡は「物言わぬ証言者」とも呼ばれる。来年は戦後80年となる。戦争を体験した人も年々減少する中、戦争遺跡は戦争の記憶を後世に伝える場として、その役割はますます重要になっている。戦争の記憶を継承し、悲劇を繰り返さないためにも、各地に残る戦争遺跡の保存について早急に検討を進めるべきだ。そのためにも国による、より詳細な実態調査を求めたい。
共同通信が実施した642遺跡が所在する市区町村へのアンケートによると、「現存していない」(消失)が59遺跡、「大半が消失したが一部が残る」(大部分消失)が121遺跡だった。消失した理由(複数回答)では、住民や所有者の意向による取り壊し、開発や建て替えによる工事、経年劣化などのほか、「経緯不明」との回答もあった。
開発による消失が多いが、保存などの取り組みが進まなければ、消失数はさらに増える可能性もある。やむを得ず解体する場合も移転や詳細な記録保存に取り組むべきだ。
1996年に広島の原爆ドームが国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されたことを契機に、戦争遺跡の保存・活用の機運が高まった。国の文化財指定の基準も95年に改定され、戦争遺跡を含む近代の遺跡も指定対象になっている。
これ以上の消失を防ぐために、戦争遺跡の歴史的価値に対する認識をさらに広げることが必要だ。戦争に関連する「負の遺産」を保存することに、抵抗感を持つ人もいるだろう。だが体験者から証言を聞くことが困難になる中で、戦争遺跡を保存活用することは戦争の実相と向き合うことにつながる。各地域で対話を深めることで、理解も深まっていくのではないか。
保存・活用には国の財政支援も欠かせない。文化庁の調査は報告書として未刊行だ。国として戦争遺跡の意義付けや保存にあたっての指針を策定すべきだ。保存に向け自治体が積極的に取り組める仕組みを早急に構築してほしい。
県内では、県立埋蔵文化財センターが1998年から2005年にかけて行った調査で、1077カ所を戦争遺跡と特定した。沖縄戦の前年から構築された日本軍陣地や住民が避難した防空壕、ガマも戦争遺跡に数えられている。文化庁の調査では沖縄県内に206遺跡があり、52遺跡が消失、または大部分が消失しているという。
県は第32軍司令部壕の保存・公開を進める考えで、戦争遺跡として文化財指定する方針だ。これを機会に改めて県内の戦争遺跡を再調査し、保存・活用の分野で他都道府県の参考となるよう取り組みを強化してほしい。