<社説>教育機会確保法成立 不登校対策に子どもの声を


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 学ぶとは何か。人それぞれに環境、個性が異なるのであれば、多様性が確保されてしかるべきだ。それを担保するのは、必ずしも学校という場に限るものではない。

 不登校の児童生徒を国や学校が支援することを初めて明記した議員立法の教育機会確保法が成立した。国や自治体が責任を持って対策に当たることは評価する。
 だが同法には問題点が幾つもあり、改善されないまま成立に至った。その筆頭は不登校の定義だ。
 第2条で「不登校児童生徒」は「相当の期間学校を欠席する児童生徒であって、集団の生活に関する心理的な負担その他の事由のために就学が困難である状況として文部科学大臣が定める状況にあると認められるものをいう」とある。まるで集団になじめない子ども自身に責任があるかのようだ。
 不登校の原因はさまざまだが、いじめや学校側に起因するものも多い。福島から横浜市に自主避難した児童がいじめに遭った問題では学校側が報告を放置し、不登校に至った。新潟でも担任教諭が福島から自主避難している児童を「ばい菌扱い」する暴言を吐いて、児童が学校を休んだ。
 国や自治体が責任を持つべきは、これら教育委員会、教師の意識改革だ。子ども自身に責任を負わせることなく、安心して通える学校の構築こそが行政の役割である。
 法が求める支援の内容が従来通り「学校への復帰」を前提としたものならば、不登校の子どもには何の意味もない。法成立後の運用を国民が厳しく見守る必要がある。
 文科省が今年9月に全国の教育委員長、知事宛てに出した不登校児童生徒への支援に関する通知は「不登校を問題行動と判断してはならない」と明示している。不登校は誰にでも起こり得るものであり「学校に登校するという結果のみを目標にするのではなく」「休養や自分を見つめなおす積極的な意味がある」としている。
 懸念されるのは支援や居場所づくりと称し「学校復帰が困難」と判断した自治体などが不登校の子を分離することだ。大人に課せられた義務は学ぶ権利の保障であり、学校に戻す方策を模索することではない。
 不登校をはじめとする子どもたちの意思表示は、決して問題行動ではなく選択肢にすぎない。対策が必要というならば、まず子ども自身の意見に耳を傾けよう。