<社説>相模原事件1年 「共に生きる」見詰め直す


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 神奈川県相模原市の障がい者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、職員3人を含む26人が負傷した事件から1年が過ぎた。

 元施設職員の植松聖被告(27)は「障がい者は生きていても仕方がない」と主張し、社会に衝撃を与えた。被告は最近も共同通信などへの手紙で「意思疎通ができない人間を安楽死させるべきだ」などと持論を披歴している。
 被告の言葉は独善的で、間違っている。一方で被告の持つ優生思想と差別意識は、この社会で静かに広がってはいないだろうか。
 事件犠牲者の遺族や被害者とその家族が差別と偏見を恐れ、今も氏名公表を拒み、発言を控えている。ネット上では被告の「障がい者は生きていても仕方がない」などの言葉に共感を示し、障がい者をおとしめるような発言が相次いでいる。
 実際、共同通信が全国の知的障がい者の家族に実施したアンケートでは、7割近くが事件後に「障がい者を取り巻く環境が悪化したと感じた経験がある」と回答した。その具体的な項目では「インターネットなど匿名の世界で中傷が相次いだ」との回答が31%と最多だった。
 先月、車いすの男性が飛行機のタラップを腕ではい上がった件が論議を呼んだ。航空会社は奄美空港に車いすの昇降設備がないことを理由に「歩けない人は飛行機に乗せられない」と断った。現実には、到着時は同行者が車いすごと担いでタラップを降りた。周りが手を貸せば克服できたのである。
 問題は体の不自由さを理由に活動を制限し、社会から締め出そうとする発想だ。しかし、ネット上では事前に連絡しなかった男性を非難する声が多くある。
 障がいがあるなど社会的に弱い立場に置かれた人に攻撃の矢が向き、「共生」をおろそかにする。そんな社会の発想が「障がい者は周りを不幸にする」という被告の発想とつながらないか。
 事件は障がい者を受け入れる施設に大きな負担を突き付けた。本紙は相模原殺傷事件1年を前に県内の障がい者施設にアンケートを実施した。施設の約3割が事件後に精神的・肉体的負担の増加を感じていると回答した。約7割が職員への研修を実施し、約2割が防犯カメラやフェンスなどの防犯設備を強化した。
 胸が痛くなる回答もあった。ある施設職員は利用者から「ぼくらはこの世で不要な人間なのか」と問われた。
 昨年4月に施行された「障害者差別解消法」は、障がいの有無で分け隔てられることなく、「人格と個性を尊重し合いながら共生する社会」の実現を目指し、障がいを理由とする差別の解消を推進するとしている。
 事件を二度と起こさないためにも、私たちの内なる差別意識を問い、真に「共に生きる」意味を見詰め直したい。