首相靖国参拝 政権の暴走を危ぶむ 偏狭な歴史観、共有できず


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 安倍晋三首相が首相としては初めて靖国神社を参拝した。参拝にこだわる安倍氏の国家主義的な歴史観は、戦後日本が積み重ねた歴史観と平和国家像を否定するものだ。特定秘密保護法の強行成立のような強引な政治手法も目立つ。中韓に加え、米国からも非難を浴びるような政権の暴走を危ぐする。

 かつて日本は国家と宗教が結びついて近隣諸国を侵略した。その反省から平和憲法は政教分離を規定した。安倍氏の行為は国家の最高責任者としてふさわしくない。
 靖国神社が、沖縄戦で住民が被った無念の死を殉国美談とする歴史読み替え装置の役割を果たしていることを忘れてはならない。

侵略戦争を正当化

 日本の軍人は天皇のために命をささげると祭神として靖国神社にまつられるとされてきた。国家神道という宗教と軍国主義が結び付き、国民を戦争に動員する役割を果たしてきた。靖国神社は「侵略戦争を正当化し、美化する」(高橋哲哉東大大学院教授)施設であるとして国内外で問題になっている。
 だが安倍首相は東京裁判について「連合国側が勝者の判断によって断罪した」と国会で表明、侵略性を認める政府見解とは異なる歴史観を持っている。
 ことし8月15日の「全国戦没者追悼式」の安倍首相の式辞から、アジア諸国の犠牲者に対し深い反省と哀悼の意を伝える言葉が消えた。植民地支配と侵略を謝罪した1995年の「村山談話」以来、歴代内閣が共通の歴史認識として積み重ねてきた言葉を消し去った影響は深刻だ。
 その一方で靖国神社参拝を強行した。東条英機元首相ら戦争を指導したA級戦犯もまつられている。「日本のために尊い命を犠牲にした英霊に尊崇の念を表する」という首相の発言が中韓両国の気持ちを逆なでするのは当然だ。
 中国は「人類の良識に対する挑戦」、韓国は「嘆かわしく怒り」と非難するなど、日中・日韓関係が決定的に悪化するのは必至の情勢だ。米国も「失望している」との異例の批判声明を発表した。首相は、個人的な望みを実行したことで、国益を大いに損ねたことを自覚すべきだ。
 参拝後、首相は参拝した歴代首相と「全く同じ考え」だと述べた。中曽根康弘首相(当時)と小泉純一郎首相(同)の参拝は、高裁と地裁でそれぞれ「宗教的活動に該当」するとして違憲判決が確定した。国政の最高責任者が一宗教法人へ参拝する行為を司法が警告していることを認識しているだろうか。「内閣総理大臣 安倍晋三」名で献花しながら「私人」だったとの釈明は通らない。

ゼロ歳の「英霊」

 沖縄戦の場合、軍人・軍属以外でゼロ歳児から高齢者までの一般住民が「戦闘参加者」という身分で準軍人扱いされ、援護法を適用されている。援護法が適用されると「英霊」として靖国神社に合祀されている。
 軍の強制・誘導などにより発生した集団死であったり、軍に壕を追い出され、食料を奪われたりした沖縄戦体験が、援護法適用の過程で、戦争に協力したかのようにどんどん書き換えられていった。
 石原昌家沖縄国際大学名誉教授が指摘するように「日本政府は沖縄住民の最も残酷な無念の死を、崇高な犠牲的精神によって自らの命を絶った集団自決(殉国死)として美化していった」のである。沖縄にとって靖国神社は、ゼロ歳児が「英霊」としてまつられる「ねつ造された」空間でもある。沖縄戦の記憶をなし崩しにし、アジアに非難されるような偏狭な歴史観は共有できない。
 特定秘密保護法や今回の靖国神社参拝にみられるように安倍政権はタカ派色を鮮明にしている。中韓両国との外交関係が冷え切ったままの米国一辺倒の外交・安全保障政策は早晩行き詰まるだろう。アジア諸国との歴史認識の共有を含む信頼関係の構築にこそ、政権は力を注ぐべきだ。