<南風>雑穀畑を取り戻そう


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 かつて南西諸島は粟(あわ)や黍(きび)といった雑穀がたわわに稔(みの)っていた。一粒蒔(ま)けば万にもなる雑穀はまさに命の源、子孫繁栄の象徴であり、飢えから救ってくれる大事な食べ物であった。だからこそ人々は神事や祭りの際には雑穀を神に捧(ささ)げ、五穀豊穣(ほうじょう)の弥勒(みるく)世果報(ゆがふう)を祈ってきた。神酒は昔は粟で作られていたそうだ。泡盛のアワも「粟」であると伊波普猷は説いている。

 しかしお米が安定供給されるようになると、いつの間にか雑穀は鳥の餌と呼ばれるようになり、栽培する農家が激減した。今では祭りに供える雑穀さえ、ほとんど作られていない。これを時代の流れだからと見過ごしていいのだろうか。
 雑穀は沖縄の人々が神に捧げ、大切に食べてきたスピリット・フードだ。栄養価も高く、荒れた土地でもでき、農薬も肥料もいらない上、一粒万倍の稔りがある。また何年でも保存が効くので、自給率20%のこの島の災害時には、多くの人を助けてくれるだろう。
 そんな想(おも)いから私はムーチーの原料としても使われている高キビの種蒔きを始めた。自分でも栽培するが、農家さんにも種を配り栽培をお願いしてきた。ある時、久高島と波照間島の農家さんに高キビの種を持ってゆくと、昔食べた地元の高キビはモチモチして美味(おい)しかったという。あの種がまだあったらなぁと懐かしそうに語ってくれた。その想いが通じたのだろうか。面白いことに程なくして両方の農家さんのもとに在来の種がやって来たのだ。
 かくして現在、久高島ではトーナチン、波照間島ではヤタプーと呼ばれるそれぞれの島の高キビが見事に復活栽培されている。
 雑穀の穂が風にゆれる姿は良き時代の沖縄の風景だ。古人が大事にしてきた食べ物を失ってはならない。今ならまだ間に合う。種を蒔(ま)こう。良き時代の沖縄を取り戻そう!
(中曽根直子、風土コーディネーター)