<南風>平和を願う月に


社会
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 Mother, mother Ther―e’s too many of you crying 無数の人々の嘆きが溢(あふ)れているという歌い出しで始まるマービン・ゲイのWhat’s going onがラジオから流れる。6月は、平和を願う歌や祈り、思いや声が響き合う月だった。

 この曲は1971年の大ヒットだが、曲づくりのきっかけとなったのは、マービンの弟フランキーのベトナム戦従軍経験だった。フランキーは沖縄に駐留したのだろうか。そのことを私は知らない。

 先日行われた大田昌秀さんの県民葬にあわせて、業績を振り返る記事が掲載された。ある記事に平和の礎は沖縄の平和の理念を象徴するという指摘があった。

 第2次世界大戦終結50年となる95年に建立された平和の礎。あの場は発せられている声なき声に耳を傾ける場でもある。しかし、その声は亡くなった全ての人のものだろうか。

 平和の礎は、戦争という行為によって、命を奪われた一人一人の名前や存在を刻む。そこでは国籍や人種、性別、兵隊か一般住民であったのかは問わない。

 その平和の礎に2004年まで、愛楽園や南静園で戦時中に亡くなった400名近くの戦没者の圧倒的多くは刻銘されていなかった。

 一人でも多くの名前や存在をのこしたいという思いから採られた親族申告というやり方。その方法が、ハンセン病を患い、戦時下に療養所で亡くなった人には逆の意味をもたらした。平和の礎にも私たちの生きる社会が反映されている。

 朝鮮半島から連れて来られた軍夫や従軍慰安婦と呼ばれる人たちの問題もある。私たちは誰の声に耳を傾けているのか。このことは、私たちに問われている。

 平和や人権を考える沖縄愛楽園教員向け講座が16日午前10時から行われます。学びたい方なら教員でない方も歓迎します。詳細は「沖縄愛楽園交流会館」で検索。
(辻央、沖縄愛楽園交流会館学芸員)