<南風>道徳とブルース・リー


社会
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 偉い大人たちがでたらめを繰り返し、嘘をついても罰せられることなく、不正義がまかり通る。なのに、というか、だからというべきか、小学校で正式な教科として「道徳」を教えることになったらしい。

 昔も「道徳」の授業はあった。つまらぬお話を読まされて討論する。自分で考えて発言すると教師から優しい口調で全否定される。つまり最初から正解があるわけだ。正解を押しつけるのは右も左も同じで、余計なお世話である。

 無意味な授業から得るものは皆無だったが、俺の場合、大切なことはブロンソンやイーストウッドやブルース・リーが教えてくれた。俺は今でも、彼らに学んだことを信じている。

 娯楽映画、特にハリウッド映画は、国家も民族も宗教も超えて、全世界の観客に向けて作られる。だから国際標準の基本的モラルがすべて入っているのだ。

 主人公は絶望的な危機に陥る。世界を敵に回し、裏切りや別れに傷つき苦しむ。でも犠牲を厭(いと)わず助けてくれる人たちがいる。最後に主人公の努力は報われ、悪いやつはひどい目に遭う。

 現実はもっと厳しい? そんなことは子供でもわかっている。

 こんな人がいたらどんなにいいだろうと思い、自分もそうなりたいと願う、それがモラルに成長するのだ。世界の複雑さを知るのはその後でいい。

 最近の娯楽映画も玉石混淆(こんこう)だけど、基本的なモラルを馬鹿にせず、誠実に、本気で作った作品が増えてきたように思う。世界がこれだけ複雑になっているからこそ、物語の役割があると彼らは信じているのだろう。

 少年少女よ、学校の「道徳」なんて適当に流していいから、映画を見なさい。最近の映画だったら「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」や「キャプテン・アメリカ」、インド映画の「PK」なんかお薦めです。
(天願大介 日本映画大学学長映画監督、脚本家)