<南風>兄を中心に


社会
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 私は旧具志頭村生まれ。1男4女の三女です。一番上の姉と14歳違い、兄とは四つ違い、下3人は年子、のすごく仲のいい兄妹です。

 兄妹を固い絆で結んだのは兄の存在があったから。兄は出産の時にへその緒が首に巻きつき、脳の障害と肢体不自由で生まれました。両親は共働きなので、兄のことは、できる範囲は姉妹でやりました。

 兄は周りの同級生と同じ遊びをするのは厳しく、幼いころ、よく近くの公園へ一緒にブランコ遊びに行ったのを覚えています。兄と同じ小学校へ通い始めた私。友達もたくさんでき、楽しい毎日でした。

 たまに障害者の兄をからかう同級生もいました。私より体の大きい兄を守るために、途中にある叔母さんの家を経由して、兄の手を握り帰ったのを鮮明に覚えています。からかわれた時は悔しくて泣きそうになった日もありましたが、学校に行くのが嫌だと思ったことはありませんでした。

 私の周りにはたくさんの友達がいたから。何より私の大事な兄だから。不思議と兄を隠すようなことはしませんでした。そうさせたのは両親かもしれません。兄の障害を不幸と思ってはいけない。この家族なら大丈夫、と選ばれてきたのだから。両親も大変だったでしょうが、兄を中心に動く生活は、私たちにとって当たり前でした。

 兄が高校を卒業したころ、腎臓病を患って入退院の生活が始まり、家族の生活も変わりました。琉大病院に付き添いで毎日寝泊まりする父に朝食と夕食を届けたり、交代で病院に泊まったりすることも。今思い返しても、父や母は仕事もしながら大変な思いをしていたんだなと思います。

 それでも明るい両親で、私たち兄弟を分け隔てなく同じように育ててくれました。下の3姉妹を大学や短大まで通わせてくれたことには本当に感謝です。
(新垣かおり、女子硬式野球沖縄ティーダバル マネージャー)