<南風>25年前の自転車旅


社会
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 「オェ~」。これが初めて沖縄の地に降り立った時の第一声だった。今から25年前。大阪南港から船に乗り、鹿児島県志布志経由で奄美の島々をめぐり、長い我慢の船旅の末に吹き出した言葉?だった。そんなに荒れた海ではなかったと記憶するが、大きなフェリーがゆっくりと浮き沈みし、床に押し付けられる感覚と解放される感覚が交互に訪れ、私の三半規管はゆっくりと崩壊していったのだ。

 2カ月かけて沖縄中を駆け巡る自転車旅の始まりである。安謝の港にポトリと落とされたとき、波止場の油のにおいとじっとりまとわりつく湿った空気にアジアの一端であることを実感させられた。フェリーから輪行袋に入れた自転車を地上におろすだけで額から汗が噴き出し、この先が思いやられた。「これが沖縄の1月か」。大阪から羽織ってきた上着をすぐにゴミ箱に捨てた。旅の軽快さは荷物の軽さに比例する。

 港で自転車を組み立て、さっそく国際通りを目指した。公設市場でカラフルな魚と豚肉のオンパレードに目を奪われた。今なら「自転車で?」と思うが、当時は「移動スピードが遅いほどその土地とじっくり向き合える」と思っていた。

 事実、自転車の旅はたくさんの出会いをもたらしてくれた。本部でそばをごちそうになった老夫婦、糸満の公園でテントを広げていると一緒に飲もうと声をかけてくれたおじぃ、石垣島のキャンプ場でソーメンチャンプルーを作ってくれた地元のにぃにぃ。携帯電話もまだまだの時代、連絡先を交換することもないそれっきりの出会いだったが、今でもその人々の温かさが心に残っている。

 普段の生活からはかけ離れた場所ではあるが、なつかしさの残る風景と人懐っこい人情味あふれるやさしさ。25年前の自転車旅が私を重度の慢性沖縄中毒症に陥らせたキッカケだった。
(山口将紀、浦添市てだこホール総務企画課チーフ)