<南風>沖縄フリッパーズ復活


社会
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 通っていたスイミングクラブがなくなった。水球のおもしろさを感じ始めていた私は、練習場所がなくなることに落胆した。子供たちが継続的に練習に打ち込めるよう、現沖縄県水泳連盟副会長の大城正和先生を中心に多くの先生方やコーチ陣が奔走して下さった。

 そうして誕生した沖縄フリッパーズ。水面を飛び跳ね、躍動感をもって活躍してほしいという願いを込めて名付けられた。再び水球の練習ができ、とても喜んだ。当時は競技人口が少なく、すぐに全国大会に出場した。上位進出はなかったが、同世代と戦えることが楽しみで仕方がなかった。しかし、海邦国体以降、指導者の転勤などが重なり、継続して活動できなくなった。しだいに練習日が減り、部員も減り、試合に必要な7名を集めるので精いっぱいという日々が続いた。

 大学卒業後は沖縄に戻り、教員生活をスタート。その年に、水球関係者でフリッパーズを復活させようと機運が高まった。健康や体力の維持増進、スポーツを通してコミュニケーションを培うことを目的とした学校開放事業を活用し、那覇商業高校を練習拠点に沖縄フリッパーズ水球教室を開講。復活当初は2名からのスタートが、いつのまにか高校生の部員数を上回った。練習は合同で取り組み、一貫指導の体制が整った。全国大会2度の準優勝、日本代表選出など、ジュニア世代の活躍が高校の競技成績に好影響をもたらし、高校総体や本国体と活躍する選手が増えていった。

 嬉(うれ)しいことに、教員やスイミングスクールコーチとして、仕事を持ちながらスタッフとして携わってくれる卒業生が増えた。児童生徒が安全・安心な環境で楽しみながら競技力を向上させ、お互いを高め合い豊かな人間性を育めるのも、那覇商業高校をはじめ、多くの皆様のご理解があるからだ。心より感謝申し上げます。
(永井敦、那覇西高校水球部監督)