音楽を楽しむという行為は、他の動物にはできない能力です。音楽に感動することは、人間らしいということになります。音楽を聴く時に、この音に心打たれているのは人間だからなのだ、と思ってみると感動もより深くなります。
道に咲く花の色を見て、色彩に感動することも人間だから、できるのですね。人間で良かったです。
譲るという行為も、人間だからできるようです。他の動物はできません。
先日、海岸に行ったらたくさんのプラスチックゴミが溜(た)まっていました。自然物ではないゴミを作り出すのも人間だけ。その多くは隣国から流れ着いたゴミでした。ゴミを作り出すのも人間ですが、そのゴミを拾い集められるのも実に人間でしかできないはずです。
このゴミはいつか誰かが拾ってくれるだろう、と思うことと、今一つでも拾ってみよう、では人間らしさが違ってくるはずでして。
ポイ捨てしないことが一番大切ですが、そこにあるゴミはポイ捨てされたとは限らない。ゴミの経緯を考えるよりも、まず自分が捨てたわけではないゴミを一つでも拾ってみる行為から、人間としての豊かさが変わってくると思います。
誰が、なぜ捨てたゴミなのか? なんて考えていたらキリがない。気になったらヒョイと軽快にゴミを拾える人でいたい。一度でも、自分の捨てた物ではないゴミを拾ったなら、ポイ捨てする側の人にはならないってもんです。みんなが拾うようになったら、すごく美しい世の中になるはずです。
人間だから分かる、音や色彩に感動を見つけた時のように、ゴミを拾うって人間らしいってことだ! と思えたら楽しいですね。美しさとは人の心がつくり出すものなのでしょうね。
私も自分ができる範囲で、ゴミを拾うようにしています。自分の心により美しいものを感じるために。
(江川ゲンタ、打楽器奏者宮古島大使)