コラム「南風」 歴史認識の違い


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 はじめまして、カナダの西海岸を拠点に平和のための教育・執筆活動をしている乗松聡子です。私は大学院留学のため1997年にバンクーバーに来て、その後永住権を取って15年目になりますが、現在の自分の基礎は高校2、3年を過ごしたバンクーバー島の国際学校ピアソン・カレッジで築かれたと思っています。

五大陸70以上に及ぶ国と地域から来た200人の学生と共に寮生活をしながら学びました。寮の4人部屋には異なる大陸の学生が割り振られ、私のルームメートの出身は北アイルランド、スワジランド、カナダ先住民等、多様でした。
 この留学生活において、自分の歴史観が根本的に覆される学びがありました。戦争中日本がアジア隣国に対して行った残虐行為について、シンガポール、インドネシアの友人から初めて聞いたのです。フィリピン人の彼には「日本人にもいい人がいると分かった」とさえ言われました。私は、日本の学校で教える戦争の歴史は、原爆、空襲や食糧不足といった、日本市民の被害に限定されていたことを知りました。当時読んだ森村誠一の『悪魔の飽食』で、陸軍七三一部隊による捕虜生体実験のことを知ったときのダブルショックも、鮮明に覚えています。
 現在の自分の活動において歴史認識問題を重視するのは、十代のこのような体験に基づくものです。沖縄戦についても、負け戦を無謀にも継続した天皇の軍隊が沖縄住民にもたらした甚大な被害を学ぶことが不可欠です。しかし本土の教育では、日本が沖縄を見捨て、危害を加えたという加害意識が欠落しており、これは現在も続く沖縄の過重基地負担に対する本土の姿勢にも通ずるものがあります。
 自民党保守政権が復活した今、二度と戦争を起こさないための歴史教育の必要性はますます高まっていると感じています。
(乗松聡子(のりまつさとこ)、ピース・フィロソフィーセンター代表)