先日こんな光景を目にしました。3歳くらいの男の子が、「なんで食べる前に『いただきます』と言わなきゃいけないの?」と父親に聞いていました。父親は、「料理を作ってくれた人や野菜を育ててくれた人、それから、命をくれた動物たちに感謝するためだよ」と答えていたのですが、男の子は「ふーん」と言ったきり、その話題は終わってしまいました。父親の回答は決して間違ってないと思いますが、「果たしてこの話を聞いて、いったいどれだけの子供たちが心から納得するのだろう」と、その光景を目にして私の中で疑問が湧いてきたのです。
現在の食生活は、「命をいただく」というイメージからずいぶん遠くなってきている気がします。スーパーでは、魚が切り身や、骨すら抜かれた状態で売られています。主婦にとってはありがたく便利なことですが、今の子供たちは海で泳いでいる魚と、自分が食べている魚が同じであることを理解しているのでしょうか?
沖縄では県内の小・中学校で食育の一環として、給食に“シイラ”の魚を1匹丸ごと調理し食べるといった取り組みを行っているそうです。大きな魚を前に、子供たちはいつも以上に喜び、そして感謝し、給食の楽しいひと時を過ごしている光景がニュースで紹介されていました。
食を考えることは、命について考えることだと思います。動物だろうが植物だろうが、どんな生き物であも、自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、そう願って生きていると思うのです。
食べ物を頂く時、そこに尊い命があったことを忘れずに、その命を敬い、感謝の言葉をかける人が増えれば、この先の日本の食生活の在り方も変わるのではないかと期待しています。今日もまた、食べられることへの感謝の言葉を忘れずに「くわっちぃーさびら(いただきます)」
(山川杉乃、うみない美代表)