「おとーさんっ、ふつうにしてよ!」
ある日、娘に言われた。
確かにふざけていた。しかし、とても困った。
簡単そうで実は難しい課題だが、すぐ行動しなければ父の威厳がたもてない。
「ふつうにする」
やはり難しい。自分にとってはその時ふざけることが「ふつう」だったのは間違いない。これ以上の「ふつう」はない。
それでも確かに、ふざけることは感覚的にふつうではない。ふざけ続けていたらやはり変だ。一日を平均すればふざけていない時間がほとんどだ。「ふつう」とは「平均的」ということなのかもしれない。
「あなたって、いわゆるふつうだね」
こう言われて、うれしい人はほとんどいない。平均的と言われると不満なのだ。「いやいや、自分はもっといろいろ特長があるのに」という気持ちというところだろうか。
科学研究では、日常で扱わない膨大なデータを用いる。このデータは単なる数字の羅列だ。これをまとめたり、比較したりと「解析」することでようやく世の中に役立つものとなる。
この解析には土台となる「比較する値」が必要だ。その中でも基本かつ重要な土台が「平均」だ。「平均」は研究データの「ふつう」と言える。「平均」は、役立つ成果を得るための土台として不可欠なのだ。
そうは言っても「ふつうだね」と言われて不満になる気持ちもわかる。
一方、「ふつう」という土台も大切。そこから全体を見渡すことで、初めて多くのことが理解できる。ふつうを踏まえることで、新たな「個性」が生まれる。
奥深い「ふつう」を会得したら、その分野で「個性」を発揮できる土台を得たことになる。実はこれが「一流」への近道だ。
「ふつうにしてよー」
土台を作る修行が続く。
(塚原正俊、バイオジェットCEO)