デビュー50周年、進化続ける小林幸子 夢の武道館にも巨大衣装


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デビュー50周年記念公演で、豪華巨大衣装に身を包み歌う小林幸子=11月17日、東京・日本武道館

 2014年も残りわずか。大晦日といえば、気になるのがNHK紅白歌合戦。第65回となる今年の出場歌手計51組が先日発表された。12年ぶり2回目の出場となる中島みゆきが今度はどこで歌を披露するのか、ビジュアルでも独自の世界観を展開する初出場「SEKAI NO OWARI」がどんなパフォーマンスを見せてくれるのかが楽しみである。

 出場歌手のリストを見ながら、一人の名前を探したが、今年もそこになかった。1979年から2011年まで、33年連続で出場していた小林幸子だ。
 圧倒的な歌唱力だけではない。ど派手な豪華巨大衣装で視聴者を驚かせ、楽しませてきた小林が紅白の舞台から消えた。2012年の発表時、NHKは小林の落選について「視聴者の支持や今年の活躍を考慮した」と説明。その年表面化した個人事務所社長の解任騒動が格好のワイドショーネタとなり、その影響による所属レコード会社の契約解除などが背景にあったのは明らかだった。小林にとって2012年は、それまで積み上げてきた実績と信頼を自ら傷つけ、どん底の1年となった。
 それから3年。今回は「もしかして」という思いがあった。『NHK歌謡コンサート』『BS日本のうた』など、NHKの歌番組に出演を重ね、NHKへの貢献度も大きかったように思えたから。それに、なんといっても2014年というのが大きな理由だった。
 2014年は、アジア初の五輪開催となった東京オリンピック、東海道新幹線開通から50年という大きな節目の年だった。50年前の1964年といえば、日本は活気にあふれ、本格的な高度経済成長期に入っていったころ。文学では、柴田翔の青春群像小説『されどわれらが日々―』が芥川賞を受賞してベストセラーに。音楽では、「まこ 甘えてばかりでごめんネ…」で始まる青山和子の『愛と死をみつめて』が日本レコード大賞を受賞している。この年、作曲家古賀政男に見いだされ、『ウソツキ鴎』でデビューしたのが小林幸子だった。「天才少女歌手」「美空ひばりの再来」と期待されたが、その後は鳴かず飛ばず。200万枚の大ヒットとなった『おもいで酒』にめぐり会うまで約15年を要した。その間は、全国のキャバレーやクラブを一人で回り歌いつないだという。いかにも演歌歌手らしいエピソード。悲喜こもごもの思いがつまった50年である。
 11月17日は、小林にとってまさに夢の一夜だった。東京・九段の日本武道館。名だたる有名歌手たちがこの舞台に立ち、数々の伝説が生まれた。ビートルズの来日公演(1966年)、山口百恵の引退公演(1980年)が行われたのもここ。“武道の聖地”は、コンサートホールとしての“聖地”でもある。自身のデビュー50周年記念を締めくくる場として選んだのが、ビートルズ公演以来「いつかは私も…」とずっと憧れてきた武道館だった。
 「50周年記念 小林幸子 in 日本武道館~夢の世界~」。公演タイトルからも小林の並々ならぬ思いが伝わってくる。オープニング曲『星に抱かれて』から、いきなりフライング(宙づり)。紅白のエンディングのように、金色のテープが客席に舞い散る。序盤から半端じゃない。ヒット曲メドレーで客席をのせたかと思えば、ジャズナンバーをアコースティックでしっとりと。芸者姿での50周年記念口上ではしっかりと笑いをとり、ファンに感謝、母親に感謝で涙ぐむ。そして、終盤は圧巻のヒットステージ。『おもいで酒』『雪椿』などおなじみの歌をたたみかけ、じっくりと聞かせる。全28曲、約3時間。熱気が途切れることはなかった。
 中でも客席が最も沸いたのが、ご存じ豪華巨大衣装が登場したとき。紅白出場が途絶え、あの衣装はいったいどうなるのかと案じていたが心配は無用。舞台狭しと再利用されていた。しかも、これまで紅白のステージで披露した「ペガサス」(1993年)、「火の鳥」(2006年)、「母鶴」(2010年)の3点も。小林が数メートルもせり上がり、色鮮やかに光り輝く。ステージいっぱいのイルミネーションの中、響きわたる歌声。やはりこれは盛り上がる。しかも紅白3年分だ。単なるお得感を超え、まるで小林の背後から後光が差すようなありがたさが漂う。客席を見渡すと、シニアの女性たちがペンライトを振るのも忘れてじっと小林を見上げていた。
 かつて小林に、この巨大衣装について聞いたことがある。始まりは1980年代前半ごろという。「最初は自分が楽しんでいた。でも周りが期待しているのに気づいたら引くに引けなくなっちゃって」。費用も相当なものだが、もちろんすべて自己負担。衣装用に11トントラックとクレーンを所有しているのが自慢だった。そのこだわりを、小林は「登場の美学」と表現した。そして笑顔で「舞台装置ではありませんよ。あれは衣装です」。
 その衣装に負けないくらい印象的だったのは、ニコニコ生放送でのコンサート中継だ。今回の公演をインターネットで全国に動画中継するという試み。武道館とネットユーザーがリアルタイムでやりとりをし、各地から寄せられたコメントが大画面に映し出される。実は小林、最近ではネット界でも話題を集めている。愛称「ラスボス」。ラストのボス…ゲームで最後に出てくるボスキャラのようだと、若いネットユーザーたちから親しみを込めてこう呼ばれているのだ。全国のユーザーたちが書き込んだ文字が、ステージ上に次々と映し出される。「さっちゃああああん」「ラスボスきたぁぁぁぁ」…。再び客席を見渡すと、初老の女性が何が起きてるのか理解できないといった表情で固まっていた。
 小林幸子、61歳。故郷新潟への思いの強さは演歌歌手の中でも随一。中越地震の被災地・山古志での田植え・稲刈りも恒例となっている。新潟をモチーフにした歌をいくつも持ち、聞き入る人を泣かせる。一方、スーパー戦隊ヒーローのように豪華衣装を装着し巨大化しては、見入る人を引きつけて退屈させない。そして今度は、ネットというフィールドに降り立ち、新たな支持層を開拓している。デビュー50周年の夢の舞台さえ試行の場。武道館をエンターテインメント性に満ちた空間に変え、迫力のステージを創り上げた。
 紅白落選はつらいだろう。だが浪人生活も悪いことばかりではない。歌手小林幸子は確実に進化している。(江頭重文・共同通信記者)
(共同通信)
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江頭重文のプロフィル
 えがしら・しげふみ 大阪、山口、福岡、京都の各支社局を経て文化部。放送、音楽、生活面を担当。最近は内勤中心となり、取材現場になかなか行けないのが悩み。計5年担当した音楽記者時代、日本武道館でのライブに何度も足を運びました。すばらしいライブの後、ちょっと高揚した気分で歩く地下鉄九段下駅までの道中が好きです。