蘇我氏滅亡後に甘樫丘を造成か 奈良、7世紀後半の建物跡や石列


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 飛鳥時代の建物跡や石列が見つかった甘樫丘遺跡群の調査区=3月、奈良県明日香村

 古代の大豪族・蘇我蝦夷、入鹿親子の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘遺跡群で、飛鳥時代の7世紀後半の建物跡や石列が見つかり、村教育委員会と関西大が26日発表した。蘇我氏滅亡後に甘樫丘が大規模造成されていたとみられ、村教委の長谷川透係長は「甘樫丘における土地利用の変遷を解明する重要な成果だ」と話した。

 建物跡は南北5・4m、東西4・2m以上。7世紀後半の総柱建物で、西にさらに続くとみられ、一帯は倉庫群だった可能性がある。柱を据える穴からは柱を固定するための大型の石も多く見つかった。

 建物跡の北側と南側では石列も見つかった。遺構はいずれも蘇我氏滅亡後の時期らしい。