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ドングリ会議 持ちつ持たれつ<小川糸「一筆申し上げます」>


ドングリ会議 持ちつ持たれつ<小川糸「一筆申し上げます」> 小川糸「一筆申し上げます」
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みなさん、「ドングリ会議」という言葉をご存じでしょうか? ブナの木は、自分たちが生き残っていくために、年ごとに会議を開いて、ドングリの量を調整していると言われていて、科学絵本も出ています。

ファンタジーのようなお話ですが、豊作と凶作を不定期に繰り返すことにより、リスやネズミなどの捕食者の数をコントロールする繁殖戦略ではないかとの説が有力だそうです。

毎年毎年ドングリを大量に落としていてはリスやネズミの数が増えすぎてしまうし、逆にドングリの数が少ないままでは、ブナ自身が再生されず、次世代へつないでいくことができません。

リスやネズミは、ドングリを見つけると土に埋めて貯蔵します。その食べ残しの、もしくは食べるのを忘れられたドングリから芽が出て新しいブナが誕生し、森が維持されていくという仕組みです。

つまり、ブナも、それを食べて生きるリスやネズミも、お互いに持ちつ持たれつの関係で、微妙なバランスを保ちながら自然が維持されていく。改めて、自然の摂理のすごさを感じます。

 小川糸

この冬は、ドングリが不作だそうで、食べ物を求めて人里に下りてしまった熊が人間と遭遇し、人に危害を与えた結果、最終的に熊も殺されるという事態が相次いで発生しました。そんなニュースを見聞きするたびに、私は、被害に遭われた方も、そして殺されてしまう熊も、どちらも本当に気の毒でかわいそうだと痛感します。

私の住んでいる森に、熊はいません。でも、もし熊がいて、その熊が目の前に現れたらやっぱり怖いと思いますし、場合によっては駆除を望んでしまうかもしれません。

一方の熊だって、悪気があって人を襲っているのではないことは確かです。犠牲になる熊は本当に気の毒ですが、ただ、そのことで人間の暮らしや命までもが脅かされてしまうのであれば、やむを得ず殺さざるを得ない場合もあるのではないかと思います。殺す側も、殺したくて殺しているのではないはずです。

ですが、そういうニュースが報道されると、熊を殺したことを批判する電話などが自治体宛てにかかってきたとのこと。問題は、そんなに単純なのでしょうか? 責任は、私も含めて、地球に暮らす人間のひとりひとりにあると思うのですが。熊の命も、人の命も、どっちも尊く、大切であることに変わりはないと思っています。(小川糸、隔週木曜に更新)

☆おがわ・いと 作家。1973年山形市生まれ。デビュー作「食堂かたつむり」(2008年)以来30冊以上の本を出版。「つるかめ助産院」「ツバキ文具店」「ライオンのおやつ」がNHKでテレビドラマ化された。近作に「とわの庭」「椿ノ恋文」、エッセー集「糸暦」など。