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麥田俊一の偏愛的モード私観 第1話「アヤーム」

 2019 SS(左)PHOTO: Tetsuya Maehara SCULPTURE: Maito Otake 2018 SS(右)PHOTO: Tsukasa Kudo

 この稿を『偏愛的モード私観』としたものの、大仰な響きに荷が勝ち過ぎていはしないかと端より心許ないが、そもそも独自(独断とも云える)の視点を自らの恃むところとしてきたのだから、せめて標題だけはそれなりにと背伸びしてみた。

 この連載はファッションを題材とするが、巷間で何が売れているか、何が売れそうかなどの流行り廃りの分析や予測ではなく、服そのものをデザインするファッションデザイナーを題材に進めてみたい。収めるところのデザイナーは、系統立てた論点に拠る人選ではなく、飽く迄も日々の取材にて私が気になる存在を恣意的に俎上に載せるのであって「私観」としたのはその所以である。

 加えて多少の言い訳をつければ、私は他所で「モードノオト」なる連載(東京にて開催されるファッションウイークの会期中に毎日更新される日乗形式の評論めいたもの)を続けていて(はや5年が経つ)その中に論じたデザイナーもみな我が意中に存しているから、再び取り上げることもあるだろうが、この稿は勿論それとは別物で、語り口も内容も異にしている筈である。

 「序」が出過ぎると興醒めだから早速本題に入る。初回は「アヤーム」の竹島 綾を選んだ。2017-18年秋冬シーズンより開始した生まれたてのブランドである。本格的なデビューは2018年春夏となる。未だ産声止まぬ若いブランドだから20着にも満たない小さな作品群だったが、そのデビューたるや鮮烈な印象だった。服が強い。と云っても攻撃的な服ではない。寧ろ、見ようによってはガーリーなのだ。しかし、少女趣味と云う常套文句では到底律することが出来ない気合いと、デビューにして、繊細さと柔らかさを融合した服より滲み出る意志的な強さ(後述する)を感じた。

 デビュー間もないからこそ、こうした芯の強さが必要なのかも知れない。オリジナルの服地にこだわる直向きさに加え、加減を知らぬ無鉄砲さと紙一重の、無垢な逞しさに惹かれたのだった。層を成すフリルやギャザーのシンフォニーの中で際立つ夢見がちなピンクと、力強さを誇示する存在感のある黒。最新コレクション(2019年春夏)にも、ふと見せる優しさに共存する、真っ直ぐで力強い個性が垣間見られる。

「共犯関係」と云う言葉を、好んで私は使う。これは、作り手(デザイナー)と取材者(私)の間に、密やかに生まれる共通認識のようなもので、阿吽の呼吸のうちに共有する意識とも云えようか。たとえば「いいだろ?この○○」とか「××についてもそっと考えてみようよ」式の、作り手からの誘いに、こちらも乗った、互いに分かち合う信頼の下に築かれる関係だ。

 一度共犯関係を結んだならば、作り手は、計り知れない貴重な暗示を提供してくれ、こちらの狭量な視野を開けてもくれる。だから私は売文を以てそれに応える。作り手にとって時に耳の痛いことを云い放ったりするが、それは私流儀の檄(エール)であり、そもそも世辞や追従などの類いは共犯者には無縁の修辞だと思っている。その伝で云えば、竹島とも立派に共犯関係を結んだことになる。貧弱な文章で竹島の本質的な強さを書くにはどうも隔靴掻痒の感を伴うので、本人の言葉を幾つか引く。

「前回(2018-19年秋冬)はバイヤーに(服に)女性らしさが欲しいと云われた。私はそうは思わなかったが、その次元で我を通しても仕方がない。今回は、意匠のあるテクスチャーを服に置き換えたこれまでの手法を抑え、服地は出来るだけ飾らずにパターンメーキングに比重を置いてみた。形や質感、細部に女っぽさ、甘さを意識してみたけれど、自分では、それだけではない『何か』をデザインしたつもり。コアは大切にしたいから」

 また、「作り手の価値観を押し付けるのではなく、着るひとの、そのひとらしさを出来るだけ損なわない服、自分らしく生きるひとの背中を押してあげられる服を心に描いている。『可愛い』と見られるのは外見からで、本人は可愛らしさを意識しようがしまいが(行動や嗜好を含めた)飽く迄も自分自身の有りの儘の姿がそのひとの個性だと思うし、本来それはデコラティブなもの(飾ったもの)ではない筈。服が男女を選ぶのではなく(こちらからも性別は問わず)ひとに選んで欲しい服をデザインしていきたい」とも。竹島云うところの「何か」を示唆してはいないだろうか。(麥田俊一、ファッションジャーナリスト)


(共同通信)








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