琉球王朝時代、護佐丸の築いた中城城の城下にあった照山付近に添石・照屋と呼ばれた地域があり、総称して古島と呼ばれたのが中城村添石区の原型と言われる。その後ほとんどの世帯が海側に移った添石区は、海山を含めて15の拝所を有して御願行事も脈々と行われる。戦前はサトウキビ畑や田んぼが広がるのどかな田園地帯だった。
一大行事は旧暦7月17日の「十七日(ジュウシチニチー)」だ。かつては旗頭による道ジュネーや添石独特の信仰である「ハチチブラー」と呼ばれる鬼面をつけた長老による厄払いのための拝所巡りなどが行われた。いずれも沖縄戦で焼失してハチチブラーは1976年に、旗頭は2005年に復活。ハチチブラーに関しては戦前の記録がほとんどなく、詳細は明らかではない。
高齢化の進む伝統の色濃い地域を支える中村盛健区長(63)は「祭りの維持も大変だが、他の地域から出演者を招きながら続けていきたい」と周囲と共に行事の継承に力を注ぐ。
中村盛健区長から一言 声かけしたら、一致団結して行事ができる団結力が強い。行事はどうしてもやっておかないと、先輩たちに申し訳ない。
添石区メモ 中村区長によると現在の世帯数は約130戸、人口は約260人(いずれも区内の施設入所者を除く)。
(石井恭子)
(第1~4金曜掲載)