スポーツ

終戦後の武道禁止で柔道断念の89歳元「桜戦士」 コロナ禍のスポーツ少年へ伝言

ラグビー日本代表のキャップを手に、自らの人生を振り返りながら子供たちにエールを送る広畠登さん=京都市左京区で2020年4月29日午後3時35分、大東祐紀撮影

 終戦後の「武道禁止令」で柔道をやめ、ラグビーに転向して日本代表まで駆け上がった男性が、新型コロナウイルスの感染拡大で多くのスポーツ大会が中止となった現状に心を痛めている。元航空自衛隊員の広畠登さん(89)=京都市左京区=だ。子供たちの夢や目標が奪われる中、苦境を乗り越えた先に可能性が広がった経験から、「(培ったことの)披露の場がないのは悲しいが、努力してきたことは人生の糧になる」とエールを送る。【大東祐紀】

 ◇GHQの指令で柔道断念

 広島県出身で、小学校高学年で大阪府に引っ越した広畠さんは旧制四條畷中で柔道部に入り、「技が決まった時のうれしさは何とも言えない」と熱中した。柔道部の仲間は大阪で初めてできた友達だった。学徒動員で高射砲などを造り、放課後は学校で技を磨いた。しかし、旧制中学3年だった1945年、連合国軍総司令部(GHQ)が軍事色を排除するために出した武道禁止令で柔道をやめた。「続けたかった。これから何をすればいいのか」

 水泳部に入ったが、わずか1カ月で退部。その後、柔道部時代の仲間の勧めでラグビー部に入ると、タックルなど格闘技の要素もある競技にのめり込んだ。タックルの受け身では柔道の経験が生き、ほとんどけがをしなかったという。学制改革で48年に旧制四條畷中は四條畷高へ移行。49年1月の第28回全国高校大会にフランカーで出場し、準優勝を果たした。

 ◇桜のジャージー、花園で感激

 52年には、同志社大在学中に日本代表に選ばれ、満開の「桜のジャージー」に袖を通した。大阪・花園ラグビー場で行われた英オックスフォード大との親善試合にNO8で出場。1万5000人の観衆が見守る中、敗れはしたものの「これが日本代表か」と感激したことを覚えている。

 卒業後は航空自衛隊に入り、パイロットになった。航空機は1人で乗るが、任務遂行のために仲間との協力は不可欠で「ラグビーでコミュニケーションを取っていたことが良かった」と振り返る。操縦技術も「人より努力しないとうまくなれない。スポーツと同じ」。東西冷戦下で命の危険を感じた瞬間もあったというが、84年の定年まで日本上空の治安を守り続けた。

 コロナ禍で、選抜高校野球や全国高校総合体育大会(インターハイ)は史上初めて、柔道の金鷲旗高校大会や剣道の玉竜旗高校大会は武道禁止令以来の中止となった。広畠さんは「3年生のためにも代替大会を開催してほしい」と願いつつ、「私自身、柔道とラグビーをしてきたことは、どちらも生きる上で大きな経験だった。勝ち負けだけではない。練習してきたことは絶対に無駄にならない」と言い切った。


(毎日新聞)









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