社会

<エンタメノート>沖縄島唄のレジェンド 胸に染みる情け唄の名手、大城美佐子さんをしのぶ

「琉球音楽祭」でトリを務めた大城美佐子さん=那覇市泉崎の琉球新報ホールで2019年5月11日

 地域文化、という言葉が頻繁に使われるようになって久しい。でも、地域文化とは具体的には何なのだろうか。沖縄には独自の文化がある。それは今も生きていて、よそから来た私たちをも楽しませてくれる。そう感じさせてくれた唄者の一人が大城美佐子さんだ。

 昨年の暮れ、12月20日にNHK総合テレビで放送された「民謡魂 ふるさとの唄」は、番組初の沖縄県名護市での収録。司会の城島茂さんは三線に挑戦し、出演は、大工哲弘、夏川りみ、「童神(わらびがみ)」の古謝美佐子、よなは徹、現メンバーは6代目のネーネーズ、という顔ぶれ。その中心に大城美佐子さんはいて、冒頭には「めでたい節」、エンディングは「唐船(とうしん)ドーイ」を歌っていた。

 美佐子さんは実にお元気そうで、ソロでは代表的な情け唄(叙情歌)「ナークニー」、そして会いたい人への募る思いを歌った「白雲節(しらくむぶし)」の2曲を淡々と歌い上げた。

 「しまくとぅば(島言葉)」の歌詞は、普段使っていないとなかなか難しい。でも、琉歌の形、サンパチロク(8・8・8・6)、8文字、8文字、8文字、6文字で歌われる唄を知り、少しずつ歌詞の意味がわかると、より伝わってくる。「ナークニー」も「白雲節」もそうだ。

 沖縄の唄、島唄は人々の生活と密接につながっている。淡い恋の唄もあれば、唄で親や先祖を敬い、生きる喜びを祝う。唄は日々の労働の癒やしでもあり、今でも新曲の新唄(みいうた)が作り続けられている。決して古臭くなく、現代の生活に根付いていて、若き唄者も少なくない。

 番組では「沖縄民謡のレジェンド」と紹介していたが、美佐子さんは誰もが認める女性唄者(歌手)の第一人者。今、1962年のデビュー曲「片思い(かたうむい)」をAmazonMusicで改めて聴いていたのだけれど、「絹糸声(いーちゅぐい)」と呼ばれた、その伸びやかな高い声は、年を召されても変わることなく、私たちを魅了し続けた。

 唄者の多くは自分でお店を持っている。美佐子さんも那覇・東町のビルの地下で「島思い」という店を持ち、ライブで唄を披露してくれた。とても近い距離で酒を飲みながら生の唄を楽しめるのがライブの醍醐味(だいごみ)。そのために沖縄に通うのが楽しかった。

 だが、昨年から今年は新型コロナウイルスの影響でご無沙汰してしまい、店も一時休業を余儀なくされた。年末のテレビで健在ぶりを確認し、再訪を楽しみにしていたところでの、突然の訃報だった。

 戦争で何もかも失った沖縄。でも、文化は失わなかった。駐留する米軍に反対する人は多いけれども、アメリカの人々も文化も大好き。そこから「チャンプルー文化」も生まれた。文化に新たな広がりが進んでいく中で、美佐子さんは、沖縄の言い方だと「肝に染みる」の方がしっくりくる、胸に染みる情け唄を歌い続けた。

 美佐子さんの東京でのライブも忘れない。もう10年以上前の2008年5月、東京・渋谷のPARCO劇場で開かれた、男性唄者の第一人者・知名定男さんとの情け唄の共演、「二人唄会」。定男さんの父、知名定繁(ていはん)さんは、美佐子さんの師匠にあたる。だから、美佐子さんが「定男!」と弟のように呼ぶのもおもしろかった。

 にぎやかな島唄も楽しいけれど、一人、泡盛を片手に聴くには、情け唄がよく似合う。思い出の中で美佐子さんの唄は生き続ける。【油井雅和】

【写真特集】唄に生きた84年…在りし日の大城美佐子さん


(毎日新聞)









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