国際

搾取される日本からの移民、浮き彫り

日本、ハワイ、米国の地図

 ◇保管の外交文書から、ハワイと日本、米国の複雑な関係が…

 米国ハワイ州立文書館(ホノルル)に大量に保管されていることが分かった、19世紀に独立国だったハワイと日本との外交関係を記録した文書。東京大史料編纂(へんさん)所が本格調査を始めたハワイ独立時代の外交文書からは、近代初頭に帝国主義の荒波にほんろうされるハワイと日本、米国の複雑な関係が見えてくる。

 例えば日本からハワイへの初の移民について条件を取り決めた1868年4月の「ハワイ国 雇百姓及人足約定書」に登場する米国人商人で、駐日本ハワイ総領事を自称していたバン・リードだ。ハワイ政府は、自国を併合しようとする米国からの圧力が強まる中、総領事を置くことで日本と外交関係を築き、そのパワーバランスの中で独立を保持する狙いがあったとみられる。

 「約定書」は日本の3商人からリードあて。リードは幕府の許可を得て移民を送ろうとしていたが、新たに発足した明治政府は、ハワイとは通商条約がないためリードを領事と認めず移民も許さなかった。保谷(ほうや)徹・東京大史料編纂所教授は「約定書の時期には、新政府軍が江戸開城を巡って議論していた。(統治機構が)ちゅうぶらりんのため、リードは旧幕府から得た渡航許可をたてに、新政府が認めない中で船を出した」と分析する。同月内に約150人の移民がハワイへ渡った。

 保谷教授は「商人はいわゆる口入れ屋だ。人足たちの帰国後に口入れ屋が総領事から給金を受け取ることになっており、人足たちの取り分はかなり少なかったのではないか」とみる。

 また、研究チームの大学院生、若山太良(たいりょう)さんが、ハワイ外務省が82年以降に駐日ハワイ総領事のロバート・アーウィンに対して送った訓令などを分析した結果、移民のあっせんに乗り出したアーウィンが、規定以上の前借り金を渡航者から集めて私腹を肥やしていた形跡があった。

 移民は現地から日本への送金もままならず、駐ハワイ日本総領事で元幕臣の安藤太郎は<無知之輩ヨリ無法之収斂ヲ行ヒ>と非難する意見書(88年)を日本政府に送った。若山さんによると、アーウィンが三井物産に多額の借金を負っていたことが背景にある。「三井の番頭」と呼ばれた外相の井上馨と密接な仲だったことも分かった。

 さらに東郷平八郎が祝砲を撃つのを断る文書(94年)も興味深い。宛名は<布哇(ハワイ)国仮政府 外務大臣>で、日本はクーデターで生まれた共和国政権を米国のかいらいと捉え、「仮」と称してけん制したようだ。

 ハワイは1810年に豪族カメハメハ1世が全島の統一を成し遂げ、王朝は8代続いた。85年から94年までだけで約3万人もの日本人移民が渡った。日本が対米戦争を始めるにあたって奇襲したように戦略的要衝でもあった。戦後は観光地として日本人に広く親しまれてきた。しかし外交史の研究は多いとは言えない。膨大な史料群は今春、同編纂所内でデジタル画像を閲覧できるようになった。【鶴谷真】


(毎日新聞)