社会

自宅再建か断念か 遺族、揺れる心

母京子さんの遺影の前で思いを語る島崎さん=熊本県益城町で2018年4月10日、森園道子撮影

 熊本地震の本震から16日で2年。2度目の最大震度7を観測した本震は、2日前の前震を体験した被災者が日常を取り戻そうとした矢先の激震だった。ともに自宅で眠りにつくも生死を分けた家族。あの日を呼び起こす自宅跡地で再建を決意するか、断念するか。遺族が揺れている。

 ◇母の記憶 胸が苦しい

 熊本県益城町の会社員、島崎浩さん(58)の母京子さん(当時79歳)は倒壊した自宅の下敷きとなり、亡くなった。島崎さんは隣室で寝ており、わずかな距離が2人の生死を分けた。「自宅跡に近づくとあの日を思い出してしまう」。島崎さんは自宅跡地での再建を断念し、復興住宅への入居を申し込んだ。

 2016年4月15日夜、前震の片付けを終えて電気も戻るなどしたことで、両親と3人で自宅で寝ることにした。京子さんは余震が怖いからと玄関に一番近い部屋に布団を敷いた。隣室の島崎さんはふすまを開け、京子さんが見える位置へ自分の布団をずらした。それが運命を変えた。

 「ドーン。バキッ」という音と強烈な揺れで目が覚めた。自宅は倒壊し、余震でさらに崩れかかる。天井が迫り、恐怖で叫び声を上げた。わずかな空間だけを残し、天井が止まった。父敏幸さん(83)は自力で脱出。島崎さんも消防団員らに助け出された。

 「お袋は」。慌てて崩れた自宅へ入ろうとしたが、警察官に止められた。パジャマ姿の京子さんが見つけ出されたのは夜が明けてからだった。「いつもの位置に寝ていたら死んでいた。お袋が生かしてくれたんだと思う」と涙を拭いた。

 地震後、足が不自由な敏幸さんは福祉施設に入った。営業の仕事を終えて1人暮らしの仮設に帰っても、寂しさが募る。ふと京子さんの手料理が食べたくなり、タマネギのみそ炒めを作ってみる。だが、記憶にある味にはほど遠かった。

 朝晩、遺影に語りかけている。「病気とかなら気持ちの準備ができたのかもしれませんが。いまだ心の整理がつかない」。地震後、自宅跡地に一人では行けなかった。今もあの日がよみがえり、胸が締め付けられる。悩んだ末、復興住宅に仮申し込みをした。

 15日、親族で三回忌を営んだ。「皆が無事に過ごせるように天国から見守っていてください」。今夜もそっと母に語りかけた。【佐野格】

 ◇夫の願い 私が継ごう

 2016年4月16日未明の本震で熊本県益城(ましき)町の自宅が全壊し、夫恵祐さん(当時84歳)を失った村田千鶴子さん(84)が、自宅の再建を決めた。子供がおらず仮設住宅で独り暮らす村田さんの背中を押したのは、亡くなる数時間前に恵祐さんが語った「小さか家ばここに建てて一緒に暮らすばい」という言葉だった。

 村田さんと恵祐さんは近所でも評判のオシドリ夫婦。恵祐さんは「お前と結婚してよかった。今が一番幸せ」が口癖だった。

 14日夜の前震で自宅は傾いた。物が散乱した室内を片付けた恵祐さんは「あぎゃん太か余震な来ん」と言い、15日夜は屋内にロウソクをともして2人で過ごした。その時、恵祐さんは「こん家にゃもう住まれん。明日早起きして解体を頼もう。小さか家ば建てて一緒に暮らすばい」と話して、床に就いた。

 数時間後だった。本震で自宅は倒壊し、2人は閉じ込められた。がれきの下から村田さんが救出された時、恵祐さんは村田さんに覆いかぶさるようにして死んでいたと、救助に携わった人から後に聞いた。おかげで村田さんは肋骨(ろっこつ)にひびが入った程度で済んだ。

 入院中の2カ月間、恵祐さんの死は伏せられ、退院して義妹の家に身を寄せた時、骨となった夫と対面した。

 「主人の死んだて言うばってん、顔ば見とらんでしょうが。実感が湧かんとです。今でん『おーい、戻ったぞ』て帰ってくるごたる気のして……」。村田さんの時間は止まったままだ。

 村田さんが暮らす仮設団地内でも災害公営住宅(復興住宅)への入居を希望する人が多く、高齢で1人暮らしでもあり、悩んだ。しかし、亡くなる直前の恵祐さんの言葉を思い出し、夫婦の思い出が詰まった自宅跡に小さな家を再建することに決めた。今秋には完成する見込みだ。

 「主人の気持ちば継がにゃ、て思うてからですね」と村田さん。仏壇には、ほほ笑む恵祐さんの遺影の横に今も遺骨が置かれている。「主人ば新しか家に入れて『お父さん、家のできたよ』ち言うてから納骨しようて思ちですね。狭かばってんこけ(ここに)置いとっとです」

 そう言うと、村田さんは新居に入る日を思い描くように宙を見つめた。【福岡賢正】


(毎日新聞)