社会

指折りの奇人も驚いた「仰天房」 年内に解体撤去に

大浜浄竿さんが改築した黒田材木店の建物。くぎを使わず、木材と石を精密に組み合わせている=京都市伏見区で2018年10月12日、望月亮一撮影

 ◇黒田材木店の事務所兼住居、安全上の理由などで

 主に米国で活躍した京都市東山区在住の大工、大浜浄竿(じょうかん)さん(76)が改築した木造の「仰天房」が年内に解体撤去される。同市伏見区醍醐下山口町の住宅街にある黒田材木店の事務所兼住居で、安全上の理由などによる。京都の指折りの奇人と言われた人物が驚き「仰天房」と名付けた。狭い空間を広く見せ、建築・木工芸・書道の技巧を詰め込んだ「芸術品」と評され、惜しむ声が上がる。

 大浜さんは30代後半で米国に渡り、1980年代を中心に建築や木工芸で高い評価を得た。帰国後、くも膜下出血で倒れて仕事を辞め、自宅療養している。

 「仰天房」は28〜29歳だった1971年、仕事上の謝礼名目で手掛けた作品。木造2階建ての一部の4坪(十数平方メートル)ほどを改築した。日本建築の見本として職人や大工などに見てもらおうと、狭い空間にさまざまな技術や造形美を詰め込んだという。材料についても、合板ではなく無垢(むく)の木だけを使用。節や穴があったり、虫に食われたりした木もそのまま利用した。

 土間には三重県まで買いに行った御影(みかげ)石を敷き詰め、枯れ山水のミニチュア庭も作った。ふすまには自身が「子曰(しいわく)」で始まる論語の一節を書いた。

 天井には焼きごてで縁起物の鶴と亀を描いた。圧巻は階段で、くぎはほとんど使わず、複雑な形の木材を組み合わせただけなのに、40年以上びくともしない。2階の床板の裏面は鶴が羽を広げた様子が表現されている。

 「仰天房」と名付けたのは京都でも指折りの奇人と言われた茶道家で華道家の故・堀宗凡(そうぼん)さん。設計図もなしに造ったという建物を見て「私以上の奇人だ」と仰天し、称賛の意を込めた。建築関係者や木工芸を学ぶ学生が各地から見学に訪れるほか、ニューヨークのブルックリン美術館館長夫妻も作品に感銘を受けて訪れた。

 約30年前、地盤のゆるみから建物が傾き、最終的に近隣への配慮が必要となった。材木店を経営する黒田義正さん(82)は「現状のまま移築してくれる財力と技術を持った人に譲渡したい」と探していたが、見つからず断念したという。

 来年には建物の撤去を惜しむ支援者らが、大浜さん制作の木工芸品や仰天房の写真の展覧会を開く。また今月30日午前10時〜午後3時、仰天房の木材を取り外し、希望者に譲る「救出ワークショップ」を開く。問い合わせはプロジェクト事務局へメール(a.tokupon@gmail.com)で。

 ◇大浜浄竿さん

 本名光夫。1979年ごろに米国に渡り、建築や木工芸の高い技術力から「伝説の大工」とされ、米国の地方新聞に度々紹介された。ニューヨーク近郊にある「トム・マシューズ邸」の建築に携わり、84年に地元テレビ局が建築過程をドキュメンタリーフィルムに製作。「The Art of Jokan(浄竿の技)」の題名で動画共有サイトに公開されている。北海道美唄市出身。

 ◇堀宗凡さん

 1914〜97年。茶道家で華道家。京都市左京区の自宅「玄路庵」では数百種類の茶花を育てていた。女装のドレスや民族衣装など奇抜なファッションで茶席に現れ、自由人と言われた。著書に「茶花遊心」(マフィアコーポレーション、1987年刊)。


(毎日新聞)