社会

沖縄戦の日章旗、74年ぶり遺族に返る 「バンザイ・クリフ」で戦死 米兵が保管

74年ぶりに返還された日章旗を手にする小柴和子さんの家族=富津市提供

 太平洋戦争末期の沖縄本島喜屋武(きやん)岬で33歳で戦死した富津市の旧日本陸軍兵長、小柴米太郎さんが戦地に持参した日章旗(縦75センチ、横100センチ)が3日、同市役所で74年ぶりに遺族に返還された。岬は米軍に追い詰められた住民と兵士が断崖から身を投げたことで「バンザイ・クリフ(岬)」とも呼ばれる悲劇の激戦地。遺族は「(小柴さんの)月命日にあたる6月に唯一の遺品が返りました」と感慨深げだった。

 日章旗は、小柴さんの次男の妻、小柴和子さん(71)と長男豊さん(46)、長女友美さん(43)の3人が受け取った。和子さんによると、小柴さんは旧天神山村(現富津市)で、農家の8人兄弟の長男として生まれ、結婚して2人の子供に恵まれた。だが、1944(昭和19)年7月ごろに出征。戦死の知らせが届いたのは終戦から2年後の47年。「昭和20年6月18日、沖縄本島喜屋武で戦死」とあったといい、沖縄戦開始から2カ月余りで、米軍の圧倒的火力で岬まで追い詰められ、戦死したとみられる。岬には住民と兵士合わせて1万人を弔う「平和の塔」が建てられている。

 旗には、地元の天神山村長ら42人が小柴さんの出征に際して「武運長久」を祈念して記した毛筆の寄せ書きが残っている。沖縄戦を戦った米兵が持ち帰り、保管していた。戦争遺品の返還活動をしている米国の人道団体から、日本遺族会などを通じて返された。

 和子さんらは「(小柴さんの)遺骨も遺品も戻りませんでした。改めて戦争の悲惨さと平和の尊さを実感しました」と話した。【上遠野健一】


(毎日新聞)








  • お知らせ


  • 琉球新報デジタルサービス



  • 会員制サービス






  • 他のサービス