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<書評>『絶望からの新聞論』 ジャーナリズムの本旨問う


<書評>『絶望からの新聞論』 ジャーナリズムの本旨問う 『絶望からの新聞論』南彰著 地平社・1980円
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 著者は、朝日新聞に21年勤務し、その間、新聞労連委員長も歴任した現役の記者。その彼から、日々新聞を読みテレビを見ている市民へ、さらにメディア人を自負する人々へ届いたダイレクトメールだ。慰安婦問題などで政府や右派から批判を受けた朝日新聞が、自社の組織延命を優先し、政治に企業に忖度(そんたく)する姿勢へと変節している現状を憂い、ジャーナリズムの本旨は何かと公の場で問うている。

 第7章「ボーイズクラブとの決別」には、2022年3月に出版した「黙殺される教師の『性暴力』」の取材・裁判傍聴の過程を通し、筆者自身が「権力やメディアはどうあるべきかを考える視座になった」と述懐している。事実を見据え、排除され差別された側に自らも立つ決意の中で、筆者自身の人権意識も正され深められていることが分かる。

 「性犯罪の場合は、加害者が否定しつづければ、『被害者』としての立場すら揺らいでしまう。しかも、多くは見識がある人からの加害だ」とは、まさにその通りである。被害者の落ち度論に至っては、当事者の痛み苦しみがどんなに多いことか。8月23日に那覇地裁で行われた米兵による16歳未満の少女への性暴力裁判でも、加害者の否認で被害少女が5時間以上も尋問を受け法廷にとどめられたが、これはまさに人権無視の裁判のあり様ではないか。

 真のジャーナリズムが権力への監視、社会正義の実現であるならば、政府の圧力や排除を見据えて、市民社会の抱える問題に寄り添い、単なる両論併記ではない報道、人間の尊厳に基づいた報道を期待する。大政翼賛会の下、主要メディアも戦争協力にまい進した過去があることを忘れてはならない。

 朝日新聞を辞めた著者が新たな活路を求めた再就職先は、女性率3割を超える琉球新報社。社を挙げて真のジャーナリズムの体現を。沖縄に対する構造的差別の状況を解明し、世界の人々そして沖縄の人々が戦争の恐怖から免れ、一人一人の自由の保障のためにペンを執ることを期待したい。

 (高里鈴代・基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表)


 みなみ・あきら 1979年生まれ。琉球新報編集委員。2002年に朝日新聞社に入社し、事件から政治取材まで幅広く携わった。23年10月に朝日新聞を退職、同年11月に琉球新報社へ入社。「報道事変―なぜこの国では自由に質問できなくなったか」など著書多数。