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「物言わぬ証言者」どう残す 全容把握急務、新発見も 戦争遺跡調査


「物言わぬ証言者」どう残す 全容把握急務、新発見も 戦争遺跡調査
この記事を書いた人 Avatar photo 共同通信社

 文化庁がリストアップした642の戦争遺跡のうち約3割が原形をとどめていなかった。遺跡は「物言わぬ証言者」とも呼ばれるが、安全性や経済性の観点から全ての保存は困難だ。専門家は「残せないものについては調査や議論を尽くす過程が継承になる」と指摘。戦後80年近い時を経て、市民団体と戦争体験者が遺跡を見つけ出した例もある。実態や分布の全容把握が急務だ。

 消失の実相

 「崩落の危険性が高く埋め戻された」(甲陽園の地下壕(ごう)・兵庫県西宮市)。「大半が開発され、残りも市の予算上困難」(天草海軍航空隊・熊本県天草市)。共同通信アンケートへの市区町村の回答から消失の実相の一端が浮かぶ。

 三重県鈴鹿市の鈴鹿海軍航空隊の格納庫は2011年に解体され、跡地は住宅地になった。

 当時、解体反対の声が上がった。市は文化財化による保護を検討したが、戦争関連のものを文化財にすることへの抵抗感や、建築物としての価値の見いだしにくさが障壁になった。担当者は「全国に共通する課題ではないか」と指摘する。

 解体に反対した市民団体の竹内宏行さん(81)は「軍都を象徴する建物で悔しい」。一方で反対運動を通じ、遺跡を巡る地域史を学び直したといい「今なら市や所有者を説得できる。力不足だった」と振り返る。団体は15年、歴史を冊子にまとめた。

 対話の活発化

 かつて文化庁に29カ所を報告した沖縄県石垣市の担当者は「現在の戦争遺跡の分布とは大きく異なる」と言う。10~14年の県の調査で報告された市内の遺跡は69カ所。さらに23年、旧日本海軍の大規模な防御陣地が見つかった。

 共同通信の23年夏の集計では、沖縄を含む10道県が全容把握のための独自の調査を実施。動きが広がるか注目が集まる。

 「戦争賛美につながるとの声がある」(山口県下関市)。「負の記憶としてふたをしたいという意見もある」(東京都板橋区)。担当者からは戸惑いも漏れる。

 この問題に詳しい慶応大の安藤広道教授は「遺跡は、さまざまな人の戦争体験や考え方が交わる多様性のある場だと前向きに捉え、対話を活発化させてほしい」と願う。

 戦後80年が岐路

空襲体験を語る庄司誠さん=18日、仙台市

 市民団体「仙台・空襲研究会」は今夏、仙台市中心部で大規模な防空壕が見つかったと専門誌に発表した。国が補助し造らせた横穴式とみられ、総延長200メートル超。1945年7月の仙台空襲時に使われた。

 「命を救われたので、花を供えたい」。きっかけは、市内で毎年開く企画展に置いているノートへの2017年の書き込みだった。書いた女性を含む空襲体験者3人の証言を集め、一緒に実地調査した。

 新妻博子代表は発見には体験者の存在が欠かせなかったとした上で「証言とセットで戦争の記憶を伝えるためにも、戦後80年が発見の岐路になる」と強調する。

 3人のうち2人は世を去った。実地調査した1人、仙台市の庄司誠さん(91)は「この場所がなければ生きていなかった。多くの人に見てもらい、戦争の恐ろしさを感じてほしい」と話す。

(共同通信)