首里城火災までの警備体制で二転三転 管理団体 報道陣から質問相次ぐ 正殿は施錠後、外からの目視のみ


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記者から質問を投げかけられ、返答に窮する(左から)西銘宜孝沖縄美ら島財団事務局長、鈴木武彦国営沖縄記念公園事務所長、宜保勝県土建部参事=6日、那覇市の首里杜館

 首里城正殿など主要7棟を焼失した火災から1週間を前に開かれた県と国と指定管理者の沖縄美ら島財団による記者会見。当時の警備体制について二転三転する財団側の説明に報道陣から疑問の声が相次いだ。

 財団側は火災翌日の1日の会見で「31日午前1時20分に警備員が正殿内を巡回し、異常がなかったのを確認。正殿を施錠し、同43分に警備員が自らブレーカーを落とした」と説明していた。ところが6日の会見では「30日午後9時35分ごろに正殿を施錠し、ブレーカーは自動で落ちる仕組みだった」と修正した。

 財団の西銘宜孝事務局長は「あらためて警備員に聞き取りを行うと正殿の中には入っていなかった」と訂正理由を説明し、「施設施錠後は基本的にモニター監視なので巡回はない」と述べていた。一方、その後の本紙の取材に対し財団広報は「情報を精査中」と回答するなど警備体制は判然としない。

 財団によると、30日の施錠後は奉神門2階のモニター室で警備員が防犯カメラを監視した。正殿内には人の侵入と熱を感知するセンサーが設置されているが、夜間は真っ暗となるため施錠後の内部の様子は視認できなかった。警備員は11月1日に予定されていたイベントの関係者が御庭(うなー)から退去した31日午前1時5分の後、奉神門から南殿にかけて巡回した。正殿は外部から目視しただけだった。

 施錠後に正殿内の巡回をしない理由について、西銘事務局長は「施錠されていて誰も入れないので大丈夫との認識だった」とした。

 2回の会見の食い違いについて財団は警備員から聞き取りした職員が勘違いをしたと説明したが、証言の変遷に関する記者の相次ぐ質問を受け「聞き取りを受けた警備員が動転していた」と言い直した。