沖縄戦前年の1944年、沖縄近海で日本軍の攻撃を受け、行方が分からなくなっていた米海軍の潜水艦グレイバックが今年6月、久米島南方海域の水深約435メートル地点で75年ぶりに発見されたことが11日、明らかとなった。グレイバックは43年12月、県民ら600人近くを乗せ、那覇港を出港した徴用船「湖南丸」を撃沈させたことで知られる潜水艦。米国の調査チーム「ロスト52プロジェクト」の調査で明らかとなった。米ABCテレビなどが報じた。
日本軍の資料などによると、グレイバックは1944年2月26日、久米島の沖合で浮上したところ、日本軍の攻撃を受けて撃沈したとされる。チームは6月、海中でグレイバックを発見した。11日に公開された映像には「USS GRAYBACK(グレイバック)」と刻銘されたプレートなどが映っている。
発見された米潜水艦、湖南丸を長期間監視し執拗に攻撃 遺族が実態解明に期待
1943年12月21日、海軍少年航空兵を目指す少年らを乗せた湖南丸を撃沈した米潜水艦「グレイバック」の船体が75年ぶりに見つかった。船体の映像から、激しい海の戦闘の実相が浮かび上がってきた。同潜水艦は44年2月、日本軍の攻撃機による爆撃で沈没されたとの記録が残る。米調査チーム「ロスト52プロジェクト」が公表した3次元化映像によると、巨大な船体は海の底にめり込んでいた。県民を含む600人近くが亡くなった湖南丸の遺族は、不明な点が多い当時の状況を知る手掛かりとして実態解明を求めた。
湖南丸で叔父を亡くし、船で亡くなった人たちのことを調べ、補償を求める活動をしている戦時遭難船舶遺族会事務局長の大城敬人さん(79)=名護市議=は「グレイバックがなぜ、民間人しか乗っていない湖南丸を執拗(しつよう)に攻撃したのかは分かっていない。船体の発見を機に、経緯を解明する機運が高まってほしい」と話す。
湖南丸は43年12月、那覇港を出港。グレイバックは湖南丸の行動を長期間監視し、湖南丸の乗員を救出した船も攻撃していた。
同潜水艦は米側にとって「最も戦果を上げた潜水艦」(同チーム)ともいわれている。
大城さんは米公文書館にいまだ明らかになっていない記録が保管されている可能性もあるとして「記録を確認できれば、乗員遺族に対する補償を訴える大きな根拠になる。実態解明を進めたい」と話した。