芸能一家の“異端児”がつかみ取った聖火ランナー 舞台監督でスポーツマン、五輪の大舞台では主役に! 


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聖火ランナーの大田守秀さん(前列右から3人目)と家族の玉城秀子さん(2列目右端)に大田礼子さん(同中央)、玉城盛義さん(3列目右端)ら=2019年12月28日、那覇市泉崎の琉球新報社(喜瀬守昭撮影)

 琉球舞踊界をけん引する玉城流玉扇会家元の家系で生まれた大田守秀さん(51)=宜野湾市=が2020年東京五輪・パラリンピックの聖火ランナーの座をつかんだ。一度は踊りを辞め、スポーツに打ち込んだ芸能一家の“異端児”が5月の大舞台で主役となる。「うれしくてガッツポーズした」。高鳴る鼓動を抑えきれずにいる。

 守秀さんの母は玉城流玉扇会二代目家元で国指定重要無形文化財「琉球舞踊」保持者の玉城秀子さん(78)、兄は三代目家元で国指定重要無形文化財「組踊」保持者の玉城盛義(本名・大田守邦)さん(53)、妹は師範の大田礼子さん(45)。曽祖父は玉城流創始者で、沖縄の芸能史に名を刻む玉扇会初代家元の玉城盛義というそうそうたる顔ぶれの芸能一家だ。

 守秀さんは那覇市内の実家道場で幼い頃から自然と琉舞を教わった。時代は1970年代、外を通り掛かった同世代に「男が踊っている」と笑われた。
 「それが嫌だった」。中学に入ると琉舞から離れた。「本人の自由でいい」。教えていた母・秀子さんは引き留めなかった。

 守秀さんは中学に入ると社会人野球をしていた父の守一さん(78)の影響もあり、野球に汗を流した。その後もバドミントン、陸上、ハーリーとあらゆるスポーツに取り組んだ。踊りをしていた子どもの頃は体が細く「コンプレックスだった」。高校卒業後はボディビルに熱中し、鋼の肉体を手に入れた。

 東京で専門学校に通い、米国で暮らしたが95年には戻ってきた。その後は裏方として家業に携わり、家族を支えている。
 秀子さんは「子どもの頃は私がうちにいなくて嫌だったはず。それで一時期踊りに反発もあったかもしれないが、いつの間にか戻っていた。力もあるから頼りにしている」とうれしそうに笑う。

 兄の守邦さんもスポーツに打ち込んでいた時期があったが、すぐに琉舞に専念した。玉城流玉扇会三代目家元となり、玉城流創始者の曽祖父「玉城盛義」を襲名した。琉舞にとどまらず組踊、沖縄芝居など幅広く活躍、脚光を浴びる。

 兄らがうらやましくなった守秀さん。チケットのもぎりから始めた裏方だったが、今では舞台監督も手掛ける。自身も沖宮で創作神楽などを演じる「天燈神楽団」に所属するなど、芸能の世界に引き寄せられている。

 沖縄県の聖火ランナー募集で求められた作文でのアピール要素は沖縄の伝統芸能、地域交流、世界との懸け橋となっていることなどだった。琉舞に携わり、宜野湾では消防団に所属、長田小でPTA活動に取り組み、ハーリーは基地従業員や米兵でつくる「ガナーズ」を率いる。ランナーに求められるは自分の人生そのもの。「選ばれるかも」という期待通り、大役をつかみ取った。

 妻の靖子さん(46)や息子の宙空(そら)さん(18)、怜空(りく)さん(11)は守秀さんの勇姿に期待する。同時に守邦さんは「自分が応募すれば良かった」とうらやましがり、秀子さんは「横断幕を持って応援する」と待ち遠しそうに話す。
 守秀さんは「筋トレにも身が入る」と力を込める。一世一代の大舞台に向け芸能一家の血が騒いでいる。
 (仲村良太)