1996年の衆院選で自民党公認で初当選。小渕内閣で沖縄開発政務次官を務めた。2005年には、米軍普天間飛行場の移設を巡り、自民党が進める名護市辺野古移設に反対して嘉手納基地への統合案を提唱し、自民党を離党した。
05年は無所属、09年は国民新党から出馬して当選。12年に民主党野田内閣で郵政民営化・防災担当相に就任し、県関係で3人目の閣僚となった。14年に県知事選に挑戦したが、大差で敗北。直後の衆院選では比例区で復活当選。17年の衆院選でも比例で当選し、現在6期目で県総支部の代表を務める。
2010年のカジノ議連の設立時に、沖縄からは呼び掛け人として副会長の一人に選任された。
14年の衆院選時の本紙の取材に対し、下地氏はIRの必要性を認め「県民議論を深める」との認識を示している。17年の衆院選時には、カジノの県内誘致について賛否を明確にせず「その他」と回答していた。
沖縄県宮古島市生まれ。宮古高卒、中央学院大卒。