正殿や北殿、南殿など計8棟が焼けた首里城の火災から約3カ月。火災現場の公開は報道陣のほか、周辺地域の住民や観光・工事関係者ら、首里城と歩みを共にしてきた関係者に向けても行われた。黒焦げになった柱、散乱する瓦、火災による熱でひしゃげた案内板。心のよりどころだった建造物を焼き尽くした炎のすさまじさを目の当たりにした地元関係者は言葉を失い、涙を流した。それでも「再建の機運を盛り上げよう」と声を上げ、前を見据える人の姿もあった。
「熱かったよね。痛かったよね」。首里城から近い崎山ハイツ自治会の上間百合子さん(76)=那覇市首里金城町=はハンカチで目頭を押さえながら、がれきが残る御庭(うなー)を歩いた。
今にも崩れ落ちそうな北殿や南殿の赤瓦、真っ黒に炭化した柱。「沖縄そのものが焼失したかのよう。こんな痛々しい姿はこれ以上見たくない」。何度も何度もハンカチで顔を覆った。
城郭内には、正殿向かいに設置された消火設備の放水銃が出たままになっており、プラスチック製の案内板も放射熱でひしゃげたまま残されていた。
火災の激しさを物語る残存物を前にした国頭冨士夫さん(67)=首里寒川町=は「首里城が焼けたという事実を改めて実感した」と肩を落とした。
首里城火災前日の10月30日、午後9時30分ごろまで「首里城祭」関連イベントの準備やリハーサルのため、御庭にいたという首里振興会副理事長の林稔彌(としや)さん(70)は、「最後に見た首里城の姿が記憶にあるだけに悲しくてしょうがない」とポツリ。それでも前を見つめ「首里城祭も継続して開催し、再建の機運を盛り上げていきたい」と力を込めた。
那覇市街角ガイドとして17年前から首里城の案内をしてきた首里金城町自治会の慶佐次興和会長(82)も「無残な姿だけど、この姿もしっかり目に焼き付けてほしい。それが、次の再建を後押しする力になるはずだ」と強調した。