光と影を照らして 庶民犠牲の歴史に思い


光と影を照らして 庶民犠牲の歴史に思い
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 情感のこもった歌三線が辺りに響く。八重山伝統歌謡研究家の當山善堂さん(76)が30日、那覇市の自宅で奏でた八重山古典民謡「崎山節」。琉球王国時代に王府の政策で、波照間島から西表島へ強制移住させられた人々の思いが込められている。首里城火災が琉球史への関心が改めて高まる中、王府に支配された庶民や地域の立場にも思いを巡らせ、再建へつなげる視点も忘れてはならないことを指摘する。

 竹富町黒島に生まれ、中学生まで暮らした。地元の祭りの地謡だった父の三線を幼い頃から聞いて育った。社会人になってからは琉球政府や県庁の職員として勤務する傍ら、歌三線を本格的に習い始めた。長年、稽古を積み重ねてきた八重山古典民謡には、首里王府の支配下で課せられた労働や強制移住などへの庶民の思いを多様に表現される歌が残っている。

 例えば「崎山節」の歌詞には「天(てぃん)ぬ御意(ぐい)(国王様のご命令)/御主(うしゅー)ぬ御声(うくい)やりばどぅ」「泣く泣くとぅ(泣く泣く)/忌(ゆ)む忌(ゆ)むとぅ/分ぎられー(いやいやながら移住させられた)」とある。移住先の西表島の山から生まれ島の波照間島を見ると母親を見ているようだ故郷をしのび、嘆く場面も歌詞に出てくる。

 首里城火災から半年。各メディアは首里城について「琉球文化の象徴」「県民一丸で再建支援を」などと大きく紙面を割いて報道し、県内外で再建に向けた支援の輪が広がった。首里・那覇で受け継がれた歴史や文化を評価する一方、宮古・八重山や本島北部など各地域や庶民の視点が薄いとの声も聞かれる。

 當山さんは「首里城は統治機関として権力の象徴だ。庶民の抑圧機関でもあった」と指摘する。琉球王国時代に首里城を築城した際の材木の搬出や、石積み作業などにも触れ「機械もない時代に大変な作業だっただろう。庶民がどれだけ犠牲になったかについても目配せをして、首里城の光の部分も影の部分も正しく照射し再建を進めてほしい」と強調する。

 再建の主体については「首里城を県の所有にするなど、あるべき姿に戻すべきではないか。時間をかけてもよいから、より耐火性を強くし、県民の所有物にするという気概を持ってほしい」と思いを込めた。

 (古堅一樹)