「沖縄人は元祖・知的労働者」iTunesの父、ジェームス比嘉さんが望む「海の先」


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 琉球王国の時代から世界を股にかけ活躍してきたウチナーンチュたち。今年1月に沖縄科学技術大学院大学(OIST)理事会メンバーに就任したジェームス比嘉さん(62)は現代の「万国津梁の民」の筆頭ともいえる人物だ。子どもの頃、夢を追い求めて渡米した。アップルで創業者スティーブ・ジョブズの直属の部下として働き、ネット配信という技術で音楽業界を変ぼうさせたiTunes(アイチューンズ)の立ち上げなど、多くの技術革新に寄与した。

 比嘉さんは強調する。「沖縄の人々は世界で最初の知的労働者だった」。琉球王国は小国ながら中継貿易を展開し、独自の文化を築いた。比嘉さんはその繁栄の裏に、中国など他国の政治や法律、商文化を熟知して交渉に臨んだ「知的労働者」の姿があったとみる。「小さくても影響力のある国になれたのは、知的労働者の存在が大きい。それこそが沖縄の本当のDNAだ」

ジェームス比嘉さん(Chris Michel氏提供)

怒りより愛

 両親は「100%ウチナーンチュ」。戦時中、母親は北部の山に隠れて生き抜いた。父親は台湾に家族で避難した。戦争を体験した両親はかつての敵国、米国に留学し、比嘉さんが生まれた。米国の教育を息子が受けられるようにするためだ。「怒りではなく愛の力を信じなさい。自分を信じて世界に挑戦する勇気を持ちなさい」。母親の教えだ。

 帰沖後、小学校3年生まで名護市内の学校に通ったが、英語を忘れてしまったため、両親は家を売り払って再渡米を決断。しばらく米国の学校に通った。その後、父親が琉球大学、母親が在沖米軍基地内の学校に職を見つけ、再び沖縄に。米国籍のある比嘉さんは基地内の高校で学び、18歳になるとスタンフォード大学に進学した。留学中に子どもを産むという両親の決断が、比嘉さんの運命を切り開いた。「両親の長期の企画力には頭が上がりません」

 大学では政治学を学び、学生新聞の編集長も務めた。当時興隆紀だったシリコンバレーの中心地に同大はある。図らずも、情報技術革新の真っただ中で多くの教授や学生に刺激を受けた。卒業後、フリーの写真家になり、創造的分野に身を置き、次第にアップルへと引き寄せられたという。

「スラック」「ブルーボトル」生みの親に

 沖縄にいればアメリカが恋しくなり、アメリカにいれば沖縄が恋しくなる」。自身に流れる沖縄の血を意識し続けた。困難に直面した時、海の彼方に活路を開いた琉球、沖縄を思い浮かべ、乗り越えてきた。

 現在は投資家として、世界展開を目指す企業のスタートアップを支援する。新型コロナウイルス騒動のさなかにリモートワークのツールとして注目された「スラック」、小さな店舗から世界を席巻した「ブルーボトルコーヒー」などの生みの親でもある。

「海の先を見ろ」

 比嘉さんは沖縄の発展のため、「知的労働者」のDNAがある県民の奮闘に期待する。「脈々と継がれる沖縄のソフトパワー、すなわち琉球舞踊などの芸能、芸術、もてなしの心。それらを基に、OIST等の世界最先端技術、学術研究に力を得て、知的労働者としてどのように世界とコラボレーションして発展していけるかが鍵だ」

 比嘉さんは未来の沖縄をつくる子どもたちへメッセージを送った。

“Look beyond the ocean, and go pursue your dreams and your passions”(海の先を見ろ。そして自分の夢と情熱へ突き進め)