「尿を飲み生き延びた」 92歳の女性が南洋群島の戦争体験を語る


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
紙芝居を使って戦争体験を話す仲井間小夜子さん(右)=19日、宜野湾市立普天間中学校

 【宜野湾】宜野湾市立普天間中学校(佐伯進校長、609人)で19日、3年生約200人向けに平和特設授業があった。旧南洋群島のロタ島で太平洋戦争を体験した仲井間小夜子さん(92)=沖縄市=が手作りの紙芝居を使って講演した。銃弾や爆弾の攻撃を受け生死をさまよったことなどを紹介し「いかに平和が大事か毎日感じながら生きている」と強調した。

 恩納村生まれの仲井間さんは、11歳のころ家族とサイパン島へ移住した。果物がたくさんあり「この世の春だった」と懐かしそうに語る。その後ロタ島へ移動するが、米軍の攻撃が始まると「機銃掃射がどこから来るか分からず、とても怖かった」という。

 また日本兵から「夜は火をつけるな」といった約束事を教わった。兵隊が言うことは「天皇陛下と同じで怖かった」とも振り返った。米軍が制空権や制海権を握ると食料が尽きた。水くみに行った同級生は帰って来なかった。食べ物はなく「人のおしっこを飲み」生き延びた。

 逃げ場がない島の海で、死人が重なり海面が真っ赤な様子も目撃した。壕の外で一緒に歩いていた看護婦が爆撃で死亡し、仲井間さんは意識を失い生死をさまよった。戦時中は「天皇陛下のために死んだら偉い」「笑いなさい」と言われたが、戦争終了時は「号泣した。複雑な思いだった」。1946年に沖縄へ帰り、死にものぐるいで勉強して教員になった。

 話を聞いた瑞慶覧南海人(なみと)さん(14)は「戦争を伝えられる人が少なくなっているので、次の世代に戦争のつらさを教えられるようになりたい」と話した。

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、仲井間さんの講演は日程をずらし2年生と1年生向けにも開かれる。