85年前の沖縄貝標本 岐阜に 琉球植物研究の草分け 故園原咲也氏作成か


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
1935年に園原咲也が作成したとみられる貝の標本。岐阜県中津川市の山口小学校で見つかり、名護博物館に寄贈される(古居智子さん提供)

 琉球植物研究の草分けといわれる園原咲也氏が手掛けたとみられる、沖縄の貝の標本がこのほど故郷・岐阜県の母校で見つかった。沖縄から帰省していた1935年ごろ、持参した貝殻30個を箱に詰め「海のない木曽の子どもには珍しいだろう」と親戚の子どもに持たせたという。作家の古居智子さんが譲り受け、園原さんが半生を過ごした名護市の名護博物館に寄贈する。

園原氏の標本を岐阜で見つけた古居智子さん

 園原さんは長野県山口村(現・岐阜県中津川市山口)出身。1912年に27歳で沖縄県の農林技手として赴任して以来、亡くなるまでの約70年間を沖縄で暮らし、北部農林高校に長く勤めた。日本国内の植物を調査した英国人アーネスト・ヘンリー・ウィルソンの沖縄調査にも同行した。

 園原さんは多くの植物標本を作ったが、現存するものはほとんど確認されていない。動植物を含め、沖縄の古い資料は沖縄戦などで多くが失われ、戦前の貝の標本も珍しいという。

 標本には番号や「アカガイ」「ヒレジャコ」など名前を書いた紙片が貼り付けられている。採集地や時期は不明。園原さんが貝の収集に熱中していた1930年代初頭に集めたものとみられる。

 標本の寄贈を受ける名護博物館の学芸員・村田尚史さんは、標本の写真から「マングローブに生息するヒルギシジミなどに見える。寄贈後、クリーニングをして同定したい」と話した。

沖縄に赴任して3年目の園原咲也(30歳ごろ)。1915(大正4)年(写真提供・園原謙氏)

 園原さんの足跡をたどる取材を続ける作家の古居さん=鹿児島県=が昨年、園原さんと同郷で遠縁の男性から「園原さんが沖縄の貝の標本を作ってくれ、小学校に持っていった」と聞いた。山口小学校(岐阜県中津川市)に問い合わせると、それらしい貝の標本が見つかった。学校側は「保管が難しい」と譲渡し、現在は古居さんが保管している。

 古居さんによると男性は取材時94歳で、園原さんの名前を聞くと目を輝かせて「あんな愉快で魅力的な人はいない」と思い出を語り始めた。園原さんは土産用に持ち帰ったとみられる貝殻を男性の前で箱に並べ、辞書で名前を調べてラベルを書いた。小学生だった男性は風呂敷に包まれた標本箱を抱え、学校までの坂道を緊張して歩いたことを生き生きと語ったという。 (黒田華)