学校で「沖縄人」と言われてからかわれました 言葉を刻む(2)


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学校で「沖縄人」と言われてからかわれました。「沖縄の人はシラミがいて不潔だから近寄るな」ということも言われ、憤慨していました。

大城ミヨさん、沖縄県南城市

戦争の悲惨さを語り継ぐことが大事と語る大城ミヨさん=2017年3月7日、南城市の奥武島公民館

 1944年、沖縄から県外への学童集団疎開が始まった。熊本県小国町へ疎開し、現地の国民学校に通った。毎日「沖縄に帰りたいと思い、寂しくてひもじくて、牛や馬にやるメリケン(小麦粉)のかすを買ってきて団子にして食べていた」。

 沖縄から着の身着のまま来たので、防寒着もなかった。霜が降りた麦畑で麦踏みもした。熊本にいる間、沖縄の情報は何も分からなかった。親やきょうだいが生きているのかも分からず、数年間、熊本県で過ごした。

 鹿児島から船で沖縄に戻れることになり、沖縄で母と姉が迎えに来ていたのを見て「初めて母たちが生きていたことが分かり、抱きついて泣きました」。

(2017年3月25、26日付「未来に伝える沖縄戦」より=当時83歳)